2018/12/30(日)今年もいろいろありました(回想)

 年の瀬になるとこの一年間におきた出来事を振り返って、物思いにふけることがあります。ブログの読者には直接関係ないことですが、一番大きな変化は家内が亡くなったことでしょう。3年余の闘病生活でした。

 人の一生とはなにか、終末医療の在り方はどうか、介護制度に不備はないかなど、いろいろ考えさせられました。半年以上経って少し落ち着いてきたところで、順次検証してみたいと思います。まずは医療について。

 病状を正確に把握するのはかなり難しいことです。人間の体は人体模型とは違うから、バラして見ることはできません。あれこれ検査して類推することになります。見立てのよい医者とヤブではかなりの差が出ます。誰が名医で誰がヤブなのかは、一般的にわからないから運次第です。

 最初に手術を受けた医者は、腕がよいとの評判でした。手術は無事成功しましたが、見落としがあって再治療するハメになりました。これについては医者を責めるつもりはありません。再治療は自分が勤める病院では効果が期待できないと、別の病院を紹介してもらいました。言ってることは正直で信用できる医者だと思いました。

 私は医者や病院が大嫌いで、救急車を呼ぶくらいなら霊柩車を呼んでくれ!というタイプです。家内は逆で、医者も病院も大好きでした。何軒ハシゴしましたかね。それでも、ここなら命が助かる、大丈夫だ、というところはなかったと思います。

 私のように医者嫌いは、なんでそんなに立て続けに治療を受けるのか不思議でしょうがありませんが、世間一般の多くの人は何かあれば医者や病院を利用するようです。前の医療機関が出した薬は全部無視で、新しく処方箋を書いて薬を出します。使われない薬がどんどん溜まっていきます。これじゃあ医療費がかさむわけです。

 人は必ずいつか死ぬ。死なない人は一人もいません。それが病気で死ぬのか、事故で亡くなるのか、寿命を迎えるまで生きるのかは誰にもわからないけど、いつか死ぬのはまぎれもない事実です。副作用で苦しみ続ける家内を見ていて、医療の在り方に疑問を持ちました。自分の人生で医療は絶対必要なものなのか?

 医者嫌いの私には絶対必要なものではない気がします。その結果、寿命が縮むとしてもね。
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