2019/04/30(火)平成最後か令和か知らないけど…

 皆さん時代の流れに敏感なのかか商魂たくましいのか知らないけど、「平成最後の…」とか「令和最初の…」とか、紋切り型のキャッチフレーズが巷に溢れています。個人的には「それがどうしたの?」といった感想ですが、便乗して売上利益に結びつけようとする圧力は予想以上に大きいみたいですね。

 新元号が発表された日は、家の野暮用に追われていて、自分から進んでニュースを見る余裕はありませんでした。夕方、日が傾きかけた午後6時過ぎに、そうだ!今日は平日だから夕刊があったっけと思い出し、玄関ポストから夕刊を取り出して開いたら「令和」の文字が躍ってました。

 そうか、新元号は「れいわ」か「りょうわ」か知らないけれど「令和」ということをそのとき初めて知ったわけです。テレビのニュースで、しわくちゃになった号外を握りしめて「なんとかゲットできた」と歓喜にむせぶ人たちを尻目に、日本って平和だなぁと感慨に浸った稀有な一日でした。(私って変態?)

 キリスト教徒が1%いるかいないかの日本で、やれクリスマスだのバレンタインデーだの、信者でもない人が囃し言葉に踊らされ大騒ぎするするサマに、昔から違和感を抱いていました。近頃は、ハローウィンやボージョレヌーボーなど、マイナーな記念日に興じる人たちが増えました。ピーナッツブックでは、カボチャ大王がお菓子を配りまくるハローウィンを信奉するライナスは、メンバーから異端児扱いでしたよね。

 ま、いいじゃないの平和なんだから…という人がいますが、平和の時代には次の紛争と戦争の時代が潜んでいるものです。「平成は戦争のない時代だった」という人がいる一方で、戦争につながる下準備が着実に進んでいる気もしないではありません。紛争の解決手段に武力を使わないのが日本という国じゃなかったの?

 「ローラや安室は反日だ! そうだ、天皇も!」という人たちからすれば、きっと私も「反日」なんでしょうね。個人的には「反日」じゃなくて「半日」に近い生活なんだけど、凝り固まった人たちに何を言っても無意味かも…

 日本では宗教がらみの紛争や事件は少ないですが、海外ニュースを見るとほとんどが宗教がらみです。信教の自由は憲法でも保証されているから、何を信仰しようとそれは個人の自由です。問題は、それが唯一無二のものと信奉し、他者を排除しようとすることです。居もしない神を信じ(この時点で私は異端者?)、ありもしない天国や極楽を信じるのは勝手ですが、それを他人にも押し付けようとするのは越権行為じゃないですかね。

 とある皇族が西暦を使ったら天皇を軽視しているとバッシングを受けたそうです。いいじゃないの、西暦だろうが元号だろうが。自分の価値観、自分の思想と相いれないものは認めない勢力が、隠然としてこの国に居ることが、なんか宗教に凝り固まって紛争を繰り返す世界とダブって見えて仕方ありません。

 「象徴天皇」がどうあるべきかを平成最後(?)の天皇が検証してきたように、国民がこの国の「主権者」であることをもうちょっと考えていたら、今よりは少しマシな世界になっていたかもしれませんね。果たして「令和」への移行は時代のリセットになるでしょうか?
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