2011/02/28(月)ツァイスのレンズは健在

 現在、カールツァイスのレンズは、ソニーやハッセルブラッドなど多くのカメラに使われています。CP+2011 では、オリンパスのブースにマイクロフォーサーズ用のツァイスレンズが展示されていました。元々ムービー用だったレンズですが、発売時期等は未定だそうです。

 ツァイス社と各社のライセンス契約がどうなっているのかは、部外者にはよくわかりません。それでも一定の法則があることは推察できます。フォーマットサイズによって区分していることです。

 ハッセルブラッドは、6x6 判は昔からツァイスレンズですが、後発のセミ判(GX645AF)は FUJINON を採用しています。当時は京セラが CONTAX 645 を発売していました。その手前、セミ判カメラには供給できなかったようです。
 GX645AF は、日本国内だけ FUIFILM/HASSELBLAD のダブルブランドで売られています。HASSELBLAD は、日本を含む全世界が販売対象です。

 京セラがカメラ事業から撤退して、135SLR 用レンズの権利が宙に浮きました。替わりに取得したのがソニーとコシナです。αマウントのほかに主要各社のツァイスレンズが誕生しました。
 ソニーはビデオカメラにツァイスレンズを使っていたから、協力関係は前からありました。京セラもビデオカメラを出した時期がありましたが、条件で折り合いがつかなかったようです。京セラよりもソニーのほうが数量が見込めます。このあたりはビジネスライクです。

 ソニーはEマウントでもツァイスレンズの投入を発表しています。APSC 用はAマウントで既に発売済みですが、契約的にはその延長線上ということでしょうか?
 Eマウントの規格を公開する方針について、どういうやりとりがあったかも気になるところです。

2011/02/27(日)ライカとツァイスの違い

 ドイツを代表する光学メーカーは、ライカのほかにもう1社あります。カールツァイスです。165 年の歴史を誇る老舗で、ライカと同様に顕微鏡からスタートしたメーカーです。

 東西分断で2社に引き裂かれた時代もありました。イエナに残された技術者が、旅の劇団に扮して西側へ亡命した話は有名です。
 東ドイツにあったカールツァイス・イエナは、ドイツ統一によってカールツァイス財団の傘下となりました。

 ツァイスの特徴は、普通の企業と違い、財団が経営していることです。要するに一般株主がいない特異な形態です。恵まれた労働環境のなかで、世界トップクラスの技術を持つ企業に成長しました。

 もうひとつの特徴は、カメラの製造を何度か中止していることです。ツァイス製品の魅力は、カメラボディーよりもレンズの性能にありました。ヨーロッパでは、ツァイスの厳しい検査に通ったレンズには、絶大な信頼が寄せられたと言います。
 写真の優劣を決めるのは、カメラ本体よりもレンズにある・・ということですね。

 ツァイスの代表的なカメラブランドは、コンタックス(CONTAX)です。レンジファインダー式では、ライカと雌雄を争いました。戦前から戦後にかけて約 30 年ほど生産されています。
 一眼レフもコンタレックスの名前で出していましたが、カメラ事業を中止したため、一旦休眠ブランドとなりました。

 復活したのは、日本のカメラメーカー・ヤシカとライセンス契約を結んでからです。エレクトロ 35 で培った電子技術が評価されたからだと言われています。
 ポルシェグループがデザインした CONTAX RTS は、最新式の自動露出機能を採用した一眼レフでした。しかし、カメラ以上に評価されたのは、ツァイスの交換レンズ群です。解像力至上主義だった日本のメーカーに、多大な影響を与えました。

 その後、ヤシカは京セラに吸収されます。ツァイスの技術に魅力があったからでは?と噂されました。デジタルカメラの発売まで至ったものの、京セラはカメラ事業から撤退します。
 この時点で、CONTAX は再び休眠ブランドとなりました。

2011/02/26(土)ライカとエルメス

 フランスの高級ブランド・エルメスが、ライカの経営支援に乗り出したのは、「両社とも 150 年にわたり洗練されたブランドを育ててきた老舗」というのが、表向きの理由でした。
 2000 年末にライカ株式の公開買付を発表しています。実際には思うように経営改善が進まず、その後エルメスは撤退します。

 エルメスブランドで限定発売された MP は 500 台、M7 は 200 台です。M7 はレザーの色が2種類あったから、1色あたり 100 台しか販売されませんでした。
 これでは経営支援にはつながらないと思います。ライカが必要としていたのは、レザーの高級化ではなく、最新のデジタル技術だったのでは?

 創業時のエルメスは、馬具の工房でした。ナポレオン3世など皇帝貴族を顧客に、高級馬具を作っていたそうです。その後、自動車が普及するにつれ、鞄などの革製品や時計を含む装飾品にシフトしていきます。
 エルメスのマークに四輪馬車が使われているのは、こうした歴史があるからです。

 一方 150 年前のライカは、顕微鏡などの光学メーカーでした。ライカ判の語源になった試作機(ウルライカ)が作られたのは、1914 年というから、まだ 100 年経ってないですね。ライカⅠ型が市販されたのは 85 年ほど前のことです。

 エルメスは、鞄メーカーなどを次々と買収し、いまの地位を築きました。ライカも一時その対象となりました。最終的には諦めたみたいですが・・・
 ライカは、そういう方針を採りませんでした。もし、3層構造のセンサーメーカー Foveon 社をシグマではなくライカが買収していたら・・・
 いまとは少し違った展開になるかもしれない・・と想像するのは、私ひとりでしょうか?
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