2012/12/10(月)一眼レフの全自動化

 フラッグシップ機と言いながら、普及機が内蔵していた露出計がオプション扱いになるなど、Nikon F は現在では考えられない一眼レフでした。スッキリしたペンタプリズムファインダーを選ぶと、露出計のないマニュアルカメラです。
 原型はレンジファインダー(連動距離形式)の S シリーズでした。ライカ M シリーズを意識して作られたこのカメラは、露出計が外付けでした。それが当たり前の時代です。ライカに露出計が内臓されたのは M5 からです。便利になったにもかかわらず M5 は不評で短命に終わります。希少さゆえに中古市場では一時プレミアがついたそうです。(変なの)

 報道カメラマンは三角頭の F にフラッシュガンかグリップストロボが定番スタイルでした。日中屋外の露出は頭の中に入っているから、露出計はあまり必要ではなかったようです。
 写真館が使うのは蛇腹式の大判カメラがほとんどです。カメラとは別に単独露出計を用意するのが職業写真家の常識でした。F に露出計が内臓されていなくても苦にならなかったようです。

 カメラが「持ち物」だった時代です。見栄を張ってアマチュアもそれに倣いましたが、仕事で毎日使うわけではないから露出が不安要素でした。そこであの頭でっかちのフォトミックファインダーが登場します。こん棒みたいな針がぶらさがったメーターは、なんとなく精度に不安感がありました。

 電子制御式シャッターが開発されると、一眼レフは自動露出が主流になります。絞り優先かシャッター速度優先か、といった不毛な論争をしているうちにプログラム AE が登場しました。
 外付けだったワインダーは内蔵されて自動巻上げに変わります。カメラは電子部品とモーターの塊になりました。
 そしてとうとうピント合わせが自動化されます。一眼レフで本格的なオートフォーカスを実現したミノルタα7000 は、「百年に一度」あるかないかの革命的なカメラと言われました。フィルム感度の自動セット(DX コード)もこのころです。

 国産一眼レフが最初に登場したのが 60 年前です。ニコン F アイレベルの発売から 53 年、自動露出の一眼レフが登場したのが 41 年前、本格的 AF 化が 27 年前でした。そして写真愛好家が買えるレベルのデジタル式一眼レフが出てから、まだ 10 年経つかどうかです。
 デジタル化された割には、一眼レフはそんなに変わっていない気がします。

2012/12/09(日)フラッグシップ機はエレファントマン

 Nikon F は、各社フラッグシップ機のベースになりました。本体はメカニズムの塊で、露出計など電気的な機能はファインダー部分が請け負いました。プリズムファインダーが外れるのが高級機のステータスでした。
 フラッグシップ機が 10 年サイクルだった時代です。電子制御式シャッターユニットが開発されても、それを搭載したのはミドルレンジの別の機種でした。自動露出が素人向きと思われていた事情もあったようです。

 ニコンはニコマート EL、キヤノンは EF、ミノルタは XE、ペンタックスは ES2 が自動露出でした。フラッグシップ機が自動露出に対応してないのは、ユーザー心理としては物足りなさがあります。後発のミノルタ X-1 は、AE ファインダーを装着すると自動露出になりました。ニコンのフォトミックファインダーみたいに頭でっかちのファインダーです。
 キヤノン F-1 はサーボ EE ファインダーで実現しました。これまた巨大なファインダーユニットでした。TTL 露出計を内蔵しながら、すっきりスマートにまとまったペンタ部がウリだったのに、これでは台無しです。

 ご本家のニコンはというと、やはり F2 フォトミック S に DS-1 というパーツを装着して、シャッター優先 AE を実現しています。フォトミックファインダーの露出計と連動して絞りリングを回す方式です。カニ爪のメーターカプラーを利用して動かすというおぞましいものでした。
 こうしたやり方が通用したのは、Nikon F のフォトミックファインダーが起源だと思います。カメラに露出計を内臓するためにファインダー部が大きくなりました。頭でっかちが高級機の証し・・・みたいな変なイメージが定着していました。

 映画作品に、奇形で頭が肥大化したエレファントマンというのがありました。その姿から見世物小屋に売られるなど不幸な人生を送った人間の物語です。横になって寝ると頭の重みで死んでしまうと言います。最期は人としての尊厳を取り戻すために横になって死を選びます。
 フラッグシップ機は、さながらエレファントマンでした。

 露出計内臓のニコン F シリーズが頭でっかちでなくなるのは、1980 年発売の F3 からです。ニコンのフラッグシップ機はメカニカルシャッターから電子制御式シャッターに変わりました。これでファインダーの肥大化は終わったかに見えましたが・・・
 オートフォーカスに対応するため 1983 年に F3 AF が登場します。オートフォーカスファインダー DX-1 を搭載したモデルです。横から見た姿は、まさしくエレファントマンでした。(それともエイリアン?)

2012/12/08(土)Nikon F の不思議な魅力

 本棚にニコン関係の本がもう一冊あります。「ニコンテクニカルマニュアル」です。写真工業 1974 年5月号臨時増刊となっています。1971 年の臨時増刊は、F とニコマート FT N でしたが、こちらは F2 のほかにニコマート EL も載っています。F はまだ現役で並行販売されていました。

 Nikon F は F2 発売の翌年、1972 年にマイナーチェンジしています。名前はそのままだったので後ろに「(新)」をつけて区別していたようです。従来品との見分け方は、巻上げレバーの指あてにプラスチックカバーがついたことと、軍艦部の日本光学のマークが Nikon のロゴに変わったことです。
 F/F2 は、ボディー番号の上二桁が西暦だから、73 から始まる F は新タイプしかないはずです。1974 年に F の製造が打ち切られたので、頭が 74 のボディーが珍重されました。(74 年製の一部に 75 があるとの噂も)

 F(新)が登場した 1972 年には、ニコマート EL が発売されています。ニコン初の自動露出一眼レフです。この年は新旧入り乱れた年でした。誰が考えても F より F2 が、F2 よりも EL のほうが便利です。当時の日本光学は何を考えていたのでしょうか?

 結納返しはニコンがいいと家内の実家に伝えたときに、実は F にするか F2 にするか迷いました。その時点では並行販売されていたからです。先輩から借りていた関係で F の操作に馴染んでいたものの、F2 の新機能に魅力を感じていたので、ちょっと迷いました。
 最後の F を手に入れていたら、おそらく使わずに仕舞い込んでいたと思います。心置きなくカメラを使いたかったので F2 にしました。

 当時の F/F2 に対するユーザーの想いは、こんなスタンスだったと思います。自動露出がいくら便利でもニコマート EL は所詮、外注品でしかありませんでした。日本光学製は「ニコン」、それ以外のネーミングは外注生産品、というのはよく知られた話です。
 1977 年発売の EL2 からは方針変更で Nikon ブランドに変わりましたが、この機種まではニコマートとみる人が多いようです。同名のコンビニ「ニコマート」の創業が 1980 年、倒産したのは 1999 年だから、Nikon に変更したのとは無関係です。

 いま思えば、F 最後のブラック・アイレベルモデルを大事に仕舞っておいて、実用機として EL を使い倒したほうが賢明だったかもしれませんね。後悔先に立たず・・・です。
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