2008/10/11(土)嫁入り道具の今昔

 婚礼というと、トラックに嫁入り道具を満載し、紅白の幔幕で飾ってお披露目するシーンを想いうかべるひともいるでしょう。
 昔の婚礼は、資産分けの意味合いがありました。

 いまでもこうした風習を残す地域もありますが、都市部で見かけることは少なくなりました。住宅事情が深く関係しているようです。

 新婚さんの住まいは、大抵アパートか借家です。狭い住居に婚礼家具は無用の長物です。立派な桐の箪笥に入れるほどの和装の着物はありません。婚礼家具一式をしつらえたものの、置く場所がなくて実家に預けたまま・・なんて話も耳にします。

 造りつけのクローゼットや家具が増えて、家具屋の出番が少なくなりました。婚礼家具を主に扱う業者は斜陽です。
 ほかの業種に転進するところもありますが、長年営んだ家具屋から業態変更するのは簡単ではないようです。閉店して土地建物を貸したり、処分したりするお店が目立ちます。

 婚礼家具から婚礼衣裳に進出したケースもあります。その会社は、スタジオ写真をメニューに取り入れて、直営とフランチャイズで店数を拡大していきました。
 一度だけそこの社長と会ったことがります。知り合いのコマーシャルスタジオが写真撮影を請け負ったときに、照明設備の件で相談に乗りました。店にドレスや衣裳がいっぱい並んでいたので、いくらくらいするのか聞いたら、「億だ!」との返事。ハッタリの強い社長です。

 その後、他の企業に営業権を譲渡してしまいました。やはり、ほかの商売は難しかったようです。

2008/10/10(金)家紋が語る歴史

 愛知・岐阜・三重の東海3県を分ける木曾三川に、治水神社という社があります。そこに飾られている幔幕や堤燈には、丸に十字の家紋が描かれています。
 丸に十字は「轡(くつわ)」とも言われ、薩摩藩の家紋として知られています。

 なぜ東海地方に轡紋を飾る神社があるのかは、この地域のひとならよく知っています。宝暦年間に幕府の命令で、薩摩藩が治水工事を行なったからです。
 難工事で多くの犠牲者を出しました。事故死というより、幕府の嫌がらせに抗議して自決した藩士のほうが多かったとか。総奉行の平田靱負は、藩主重年公に竣工報告書を出したあと、責任をとって自決しました。

 こうした献身的な薩摩藩士の働きに感謝して、いまでもその歴史が語り継がれています。丸に十字の紋章は、時代を越えて多くの人々に、その偉業を思い起こさせるシンボルとなりました。
 轡紋を見ると「篤姫」を思い浮かべるひともいるけどね。

 最近アメリカで、篤姫のものと思われる駕籠が発見されました。明治初期に海外に渡ったようですが、詳しい経緯は不明です。
 駕籠に施された葵の紋様が、篤姫の婚礼調度品と一致したので、間違いないとの鑑定でした。
 やんごとないお姫様には、家紋以外に自分の紋様があるんですね。嫁いでいく身だから、家紋よりもそちらのほうが身近なお印だったと思います。

 自分の紋様を持たない現代の「お姫様」は、ヴィトンやクレージュのマークがその代わりなんでしょうね。

2008/10/09(木)着脱自在の家紋

 結婚式が「家と家」の行事でなくなってきたせいか、家紋に対する価値観が薄れています。もともと家柄を云々するような旧家は少ないですが・・・

 以前から貸衣装の世界では、家紋を付け外しする「張紋」というアイテムがあります。羽二重や絽の正絹素材に家紋を印刷して、特殊な接着剤で付け外しできるようにしたものです。
 本来は「染め抜き」であることが正装の基本ですが、写真スタジオなら「後貼り」でも構いません。写真を撮るだけですからね。前だけ替えれば用を足します。

 「張紋」は数枚が1組になっています。五つ紋・三つ紋・一つ紋のうち、前姿で家紋が見えるのは五つ紋です。写真撮影なら前二つを替えるだけで済みます。
 男紋と女紋では大きさが違うので、共用はできません。カタログでは、男紋が39mm径、女紋が23mm径になっていました。裃は50mm、男児初着は35mmです。
 女紋は、外周の丸印を外したデザインも一部にあります。結構な種類になりますね。

 定番で用意されているのは70種類ほどですが、特注も受けてくれます。定番品なら1枚数百円だけど、特注やサイズ変更だとかなり高くなります。
 日本全国で、家紋の種類は2000くらいあるそうです。江戸時代に流行ったファッション的な家紋も含めると、2万は下らないという説もあります。

 さしずめ我が家の「中」の字が入った上り藤も、変り種のひとつなんでしょうね。特注するしかないので、高いものにつきそうです。
 使い道がないから作ることはまずないと思いますが・・・
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