2008/10/08(水)家の中にある家紋

 冠婚葬祭の段になって慌てて家中を捜しても、旧家でもない限り、家紋が入った道具類はなかなか見つかりません。
 もしあれば、それこそ紋付の羽織や留袖くらいでしょう。

 昔は実家の近所で、祭礼のときには玄関の前に、家紋の入った提灯を出す家がありました。お獅子の宿を受け持つような家では、家紋入りの幔幕もありました。
 最近では、あまり見かけません。お年寄りが亡くなって、世代が代わったせいでしょうか?

 会社勤めをしていたころに、勤続10年の記念に家紋入りのカフスボタンをもらったことがあます。金のカフスです。
 このときも、元原稿になる家紋が見つからなくて往生しました。一応、上り藤ということは判っていたのですが、家人に聞いてみると「中」の字が入った独自の家紋なんだそうです。
 祭礼のたびに出していた提灯は、ボロボロになって廃棄してしまったし、お婆さんの留袖を借りてくるのも億劫だし・・・

 たまたま、長男が七五三のときに作った羽織に家紋が入っていたので、それからコピーをとって原稿に使いました。初孫の男の子というので、お袋がはりこんで作った初着から仕立て直した着物です。
 初着を家紋入りであつらえるなんて、当時でも珍しいですね。そんな旧家ではないはずですが、行きつけの呉服屋の「入れ知恵」でしょうね。

 いまでは七五三の衣装は、写真スタジオで借りるもの・・と相場が決まっています。男児の羽織に家紋が入っているデザインは少ないですね。家紋入りに拘る親はいないからでしょう。
 ブランド品についている家紋は、デザイン化されたマークとしての扱いです。時代とともに家紋に対する価値観は変わっています。

2008/10/07(火)家紋の由来は?

 日常生活ではほとんど無縁の家紋ですが、冠婚葬祭となると一躍脚光を浴びます。自分の家の家紋がわからなくて、戸惑うひともいるでしょう。

 家紋の歴史は古く、平安時代に遡ります。貴族の持ち物に識別マークとして用いられたのが始まりと言われています。
 その後、台頭してきた武士も貴族に倣って家紋を使うようになります。武士は戦(いくさ)が職業みたいなものだから、敵味方を見分ける旗印として利用しました。

 庶民の間で家紋が流行するのは、元禄時代からだそうです。役者や遊女から始まり、町民の間に広まっていきました。
 貴族や武士階級が権威の象徴として家紋を利用したのとは違い、庶民の家紋はファッションでした。粋なデザインを勝手に作って楽しんでいたようです。
 家紋というより紋様ですね。馴染みの遊女と同じ紋様を染め抜いた、揃いの襦袢を着るのが流行りだったとか・・・

 明治時代になって、一般庶民に苗字が許されると、家紋もフリーになりました。その土地の藩主や家臣の家紋を流用して、自分の家の家紋にしたひとが多かったようです。
 武家の家紋が庶民の間に広まったのは、封建時代が終わってからでした。

 いまの当主で何代目・・という旧家でもない限り、家紋の持つ権威としての意味合いはありません。冠婚葬祭になって、慌てて家紋を調べるような一般庶民にとっては、もともと家紋は疎遠なものです。
 遺影写真の家紋をわざわざ画像修整する必要はなさそうですね。

2008/10/06(月)紋付の家紋を合成

 結婚式の写真のブログサイトで葬儀写真とは! と思われるかもしれませんが、冠婚葬祭は現世につきものです。共通する話題もいくつかあります。

 祭壇用の写真の元原稿が、結婚式の集合写真だったということは、よくあることです。昔の結婚式は、男は紋付袴だったから、祭壇用にはピッタリです。
 女性の場合は、黒留袖が多いので、これまたピッタリです。柄があるのは裾周りだけです。花嫁さんだけは、そのままというわけにはいきませんが・・・

 紋付や留袖には家紋があります。五つ紋が最も格式の高い正装とされています。三つ紋は前二つがありません。祭壇用の写真には家紋が二つしか見えていませんが、五つ紋である証しです。
 自分の持ち物であれば、当家の家紋と一致しますが、貸衣装だったら違う紋ということになります。偶然一致することは稀です。

 結婚式のときには、あまり気にせず貸衣装で済ませたのに、葬式となると家紋のことを意識するひとがいます。仕方がないので、家紋だけすげ替えて遺影写真を作ることになります。
 葬儀写真を手がけている業者のなかには、日本中の家紋のパターンを用意しているところがあります。

 昔は、家紋の異なる紋付と留袖の「首なし写真」を一通り用意しておいて、当人の顔首と合成する装置がありました。記憶では、数十万円したと思います。発売当初は百万円を越えていたかもしれません。
 いまならコンピュータの画像処理で簡単に合成できます。
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