2008/06/01(日)データ丸投げの写真集

 最近、「結婚式写真撮影ガイド」というWEBサイトができて、案内をもらいました。本サイトと同様、アマチュアが結婚式を撮るための情報サイトです。早速「お役立ちLink集」に追加しておきました。
 このサイトは、アルバムカフェというブライダル写真集を作っている会社のオーナーが開いたものです。アルバムカフェでは、アマチュアの画像データをデザイナーが適当に加工してプロ仕様の写真集にしてくれるそうです。
 「写真集・仕上げ」のコーナーにも紹介しておきました。
 プロ仕様なので、一般のオンデマンド印刷の写真集よりも高めの価格設定になっていますが、画像処理ができないひとにはありがたい存在です。結婚式場で頼んだら、倍ではききませんからね。
 おそらく、フリーのカメラマンが利用しているのではないかと思います。

 ブライダル写真集をアマチュアが作る場合は、元データの加工がネックになります。業者向けの写真集は、データ丸投げでも専門のデザイナーがデジタル加工してくれますが、アマチュア向けのところは少ないですね。

 知り合いの写真屋さんで、業者向けの写真集を製作しているところがあります。そのまま出力できる「完全データ」と、データ丸投げでは費用が違います。データ加工は手間と経費が掛かるからです。
 プロ向けにテンプレート(デザイン集)を提供している会社もあります。数万円から十万円するので、何回も利用するなら元をとれますが、普通は1~2回しか使わないアマチュアには高すぎます。

 テンプレートがあっても、画像処理ソフトが使えないようでは、宝の持ち腐れです。画像処理に疎い素人は、データ丸投げで加工してくれるところを利用するしかないでしょうね。
http://www.albumcafe.jp/wedding/%3c/a
http://www.showmedia.jp/wedding%3c/a

2008/05/31(土)生き残った写真屋さん

 たまに連絡してくる地方の写真屋さんは、富士のK嬢にはずいぶんお世話になったようです。このひと商売人ですから、大抵は景品や宣伝物のおねだりだったみたいですが、営業担当者で何ともならないことでも、K嬢に頼めばどこかで工面してくれたそうです。

 そのK嬢が定年退職し、後に残った直販子会社も現地撤退で、さぞかしガッカリしていることでしょう。そういえば、元気がないのか、最近連絡がありませんね。無事に生き延びてくれていることを祈ります。

 生き残った写真屋さんは、何らかの形で写真撮影に関係しています。物品販売と違って、撮影は利益率がいいですからね。売上が少なくても何とかやっていけるようです。
 DPに代わる利益源は、写真撮影ということですかね。

 写真のデジタル化で一気にリストラが進んだコマーシャル写真の分野では、ブライダルフォトに転進して生き延びた業者が多いようです。ただし、この分野ではハコ(式場)の利権が強くて、ピンハネがきついみたいで、皆さんピーピー言ってますね。
 3割以上ピンハネされるハコもあるとか・・・

 このピンハネを嫌って、新天地を求めて中国市場に進出する業者もいます。富裕層が急速に拡大する中国では、一攫千金の夢が渦巻いています。
 でも、もともと華僑発祥の国ですから、日本国内よりももっとエグいハコが表われたりして・・・ スタジオ側が敗退しなければいいけどね。

 DP主体の写真屋さんは、中国進出なんてことは、夢のまた夢です。銀塩材料の値上がりの波を乗り越えて、何とか生き残って欲しいと思います。

2008/05/30(金)写真業界の崩壊

 とうとう富士フイルムの直販子会社=FICの地方拠点がなくなって、東京・大阪の2箇所を残すのみとなりました。これで写真業界一部上場企業の名古屋営業所(支店)は、キヤノンくらいになりました。

 ニコンがサービスセンターだけ残していたり、タムロンが現地駐在員を置いていたりするくらいで、ほとんどが撤退です。
 プリンターメーカーのノーリツ鋼機も22号線沿いから移転したみたいです。メンテは、ずいぶん前から自宅待機でしたから、広い事務所はもう必要ないしね。

 かつては、名古屋商工会議所ビルの最上階全フロアを占めていた富士フイルムの写真部門が姿を消したのは、時代の流れの象徴のような気がします。

 高校時代に駆り出されて参加した学生写真連盟の撮影会で、貸し出しのデモカメラを配っていたのは、富士フィルムのT氏でした。「おじちゃんがいいカメラを貸してあげるからね」といって宣伝していたのは、ナント!その後すぐに製造中止になったラピッドカメラでした。
 コダックに対抗して出したカートリッジ式フィルムのカメラです。発売後まもなく製造中止になって回収した、いわくつきのカメラです。(学生だと思ってバカにして!)
 フィルムを1本タダで付けてくれるといってましたが、誰も借りませんでしたね。でも、当時の富士フイルムは必死だったと思います。

 富士のT氏は珍しく転勤もせず、名古屋現地で定年退職するまで、写真団体の面倒を見ていました。同じ世代の女子社員K嬢は、「影の所長」といわれるくらい古株で、生き字引的存在でした。
 昔、大したことではなかったのですが、必要な資料があって、K嬢に頼んだことがあります。「私の力では何ともねぇ」というので、「アナタにできないことは所長に頼んでも無理だからもういいよ」というと、すぐにメールで届きました。さすが「影の所長」です。

 そのK嬢が、定年後しばらくしてから事務所を尋ねたら、たまたま古参社員が誰もいなくて、「どちら様ですか?」と聞かれたそうです。FICは、解体された問屋やラボから来た「新米」社員の寄せ集めでしたからね。
 その新米社員も誰もいなくなって、K嬢が尋ねる先はなくなってしまいました。寂しい話です。
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