2008/05/29(木)アナログ機材の値上げ

 石油や大豆の高騰が社会全体の問題になっていますが、アナログ写真の機材・材料も値上げラッシュのようです。銀塩がらみの商品は、「社会全体」とはいえないけどね。

 富士フイルムの直販子会社「富士フイルムイメージング」(FIC)の営業拠点が東京と大阪の2箇所に減って、いよいよ銀塩も終わりかな?と様子を窺っていたら、次々と値上げの発表です。
 大判(シノゴ)用レンズが20-25%値上げになったと思ったら、7月以降には感材製品が10-20%値上がりしそうです。メーカーによれば、「写真印画紙などの感光材料製品」をワールドワイドで価格見直しをするそうです。

 カラーペーパーは、標準価格のほかに対策費(値引)があったので、それもカットとなると、実際にはかなり大幅な値上げになりそうです。銀塩ペーパーが一番きれいで安い・・という言い方は、もうできなくなるかもしれませんね。
 衰退傾向にある写真屋さんは大変ですね。泣き面に蜂です。

 銀塩ペーパーは、すでに国内生産から海外生産にシフトしています。世界のどこかで集中的に製造することで、コストダウンを図ってきました。日本市場向けはオランダ工場製ですかね。中国製は、いわゆる外モノとして闇で流通しています。
 ワールドワイドで見直すということは、正規流通品も外モノも値上げになるということでしょう。「富士極彩色」という裏印字のペーパーも、もうコストダウンの切り札ではなくなる時代がきたわけです。

 値上げするということは、「いますぐにはやめない」ということです。しばらく続けるために価格を改定するわけですが、さらに需要が減った場合に再値上げして継続するか、いっそのことやめてしまうか・・どうなるんでしょうね。

 婚礼写真の世界も巻き込んで、しばらく予断を許せない状況が続きそうです。

2008/05/28(水)ニコンの外注ブランド

 このブログで「ニコンは頭が硬い」と何度も指摘しましたが、事情通ならよくおわかりだと思います。

 「酸化セリウム」の先生のところにころがっていたNikomat ELは、往年のニコンファンには特別な意味のあるカメラです。
 自社生産が当然と思われていた精密加工業界で、ニコンが自社生産したカメラにはNikon、外注生産品にはNikomat(ニコマート)のブランドが使われていたことは、有名な話です。普及機のNikomatは、発売元がニコンというだけで外注品でした。

 この原則を撤廃したのがEL2からです。ペンタプリズムのヘッドには「Nikon」のブランドが刻まれていました。
 先生のNikomat ELは、初期モデルですね。電子部品の耐用年数からして、もう寿命のはずですが、まだ動いています。先生も「さすがニコンだ!」なんて感心してました。

 レンズは、Nikkor(ニッコール)ブランドが自社生産品です。外注品には、Nikon Lensといった別の名称がつけられています。「Nikon Lens シリーズE」なんてのもありましたね。Wズームキット用の廉価版レンズです。
 自動焦点・自動巻きのコンパクトカメラが全盛を迎えたころには、ニコンもピカイチの愛称で何機種か発売しました。日東光学が生産を担当していたと思います。オリンパスも日東光学でしたね。

 カメラにはNikonの文字が入ってましたが、レンズにはNikon Lensの刻印が打たれていました。日東光学といえば、コミナーのブランドで交換レンズを出していたこともある技術力のある下請メーカーです。
 ニコンの検査基準の厳しさからみて、信頼できる出来栄えだったと思います。

 こうしたレアな情報を知らないユーザーは、「自分はニコンのコンパクトカメラを持っている」という優越感に浸っていたと思います。他社よりもいくらか割高だったので、ブランド代を払って購入していたことになります。
 NikkorでもNikon Lensでも、よく写れば区別する必要はないと思いますが、ニコン製だと思い込んで高いお金を払ったとすると、ちょっとね・・・

 デジタルカメラは、家電製品と同じで、すべて自社で賄うことはできません。CCDがどこどこ製だなんてことを問題にしてたら、購入するカメラは限られます。
 外注品かどうかを区別する意味は、もうありませんね。

2008/05/27(火)ニコン神話

 戦後カメラ史でニコンブランドは特別な意味を持っています。

 もともと三菱系の精密工業の会社で、戦前は戦艦などの大砲の測距儀や双眼鏡を作っていました。カメラメーカーとしては無名に近い存在でしたが、朝鮮戦争で使われたニコンSシリーズの写真が、アメリカの報道誌に掲載され、その切れ味と描写力が注目されました。
 モノクロ全盛時代の話です。

 ニコンブランドは、レンズのブランド=ニッコール(Nikkor)が牽引役となって浸透していきます。一時は、現像タンクで有名なナイコールから類似ブランドだとクレームがついたこともあったようです。
 当時は、日本光学(にっぽんこうがく)という社名でした。

 日本は「にほん」か「にっぽん」か・・という論議がされた時代がありました。正式には「にっぽん」だ、ということに落ち着いたようですが、その当時、ニコンに電話して「ニホン光学さんですか?」というと、「いえ!ニッポン光学です!」という返事が返ってきたことを覚えています。
 頭の硬そうな会社です。

 社風も堅いメーカーですが、権威には弱い会社でしたね。
 手元にあるNikon F2は、結納返しで義父から贈られたカメラです。保証書には当時義父が勤めていた〇日新聞社の社名が肩書きに入っていました。修理に持っていくときには、期限切れでもさりげなく一緒に付けて出したものです。
 待遇が一般のひととは全然違いましたね。VIP待遇です。

 こういう話は、例の「酸化セリウム」の先生も言ってましたね。
 若いアシスタントにF3の修理を持たせたら、けんもほろろの扱いだったそうです。プロならではの微妙な調整だったので、そこまで面倒を見れない!といったことだったようです。頭にきて、知り合いの新聞社の部長に電話を入れてもらってから行ったら、平身低頭で対応がまったく違ったそうです。
 「できるんなら最初からちゃんとやれ!」と息巻いてましたね。

 企業は人なり・・というように、生身の人間がやることですから、奢りや間違いはつきものです。〇〇タックスみたいに、ちょっと売れたら「後ろにつっかい棒をしてあげようか」と言いたくなるメーカーに比べれば、ニコンの人たちは堅物ではあるけど真面目で紳士でしたね。
 つっかい棒が必要な彼のメーカーも、吸収合併でブランド名を残すのみです。

 ニコンがんばれ! キ〇○ンには負けないでね。
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