2008/05/14(水)FUJIのティアラ

 数年前に製造中止になりましたが、FUJIFILMからTIARA(ティアラ)というコンパクトカメラのシリーズが出てました。もちろんフィルムカメラです。

 最初のTIARAが発売になったのは、1994年の暮れでした。28mm F3.5の単焦点レンズを搭載した、掌サイズのアルミボディーのカメラです。ご家庭用のカメラはズームレンズ搭載が当たり前なので、マニアックな部類に属します。
 リバーサルフィルムで撮れるというのが、発売当初の売り文句でした。写真愛好家が携帯用に買い求めることが多かったようです。

 価格は定価ベースで\35,000ですから、Nikon 28TiやCONTAX T2などのコンパクト高級機よりもかなり安いですね。安くても玄人好みのする写りに定評がありました。私も愛用しています。
 1号機のTIARAは何十本か撮ったところで壊れてしまったので、すぐに後継機のTIARAⅡを買いました。そのくらい捨てがたいカメラです。

 搭載のSUPER EBC FUJINON 28mm F3.5レンズは、画面の隅までシャープに写る優等生のレンズではありません。カメラ毎日のレンズ白書がまだ出ていたなら、「周辺ダダ落ちの普及型レンズ」という評価になったかもしれません。
 とくに開放近くでは、周辺にいくほど画像が甘く、光量低下も目立ちました。中心部はコントラストのよいメリハリのある描写で、この落差が玄人好みの写真写りになったわけです。

 ストロボが常時発光する・・というのもミソでした。ただの日中シンクロではなく、ストロボ光が1絞り分弱く当たるようにプログラムされています。一眼レフで、ストロボを弱めに焚いて補助光にするテクニックと同じです。この効果は絶妙でした。

 初めは「こんな素人のカメラなんか・・」とバカにしていたプロの先生方も、「アンタがそんなに言うなら・・」と買った途端、とりこになってしまいました。写りも玄人好みだし、ストロボの効き具合も絶妙です。
 「ストロボの効かせ方は参考になったよ」なんてプロもいましたね。

2008/05/13(火)カールツァイスの話4

 カメラやレンズのブランドは、どこか党派みたいなところがあって、ニコン党とかキヤノン党とか、支持勢力が分かれます。
 カールツァイスの場合は、党派というよりは宗派に近いですね。「ツァイス教」です。

 私も「信者」のひとりですが、盲目的な信奉者ではありません。目覚しい技術革新のなかで、古いレンズのなかにイマイチのものがあるのは、素直に認めないとね。
 ライカも含めて、ドイツの古いレンズには個性があります。クセといってもいいかもしれません。「このレンズはモノクロでないと・・」「Fいくつで○メートルの距離で撮ったときのボケ味が・・」とかいう能書が聞かれる類のものです。いわゆるレンズの「味」ですね。

 日本のレンズが解像力一本だったころ、千葉大工学部とカメラ毎日が組んで、「カメラ・レンズ白書」という別冊をよく出していました。ツァイスが持ち込んだコントラスト重視の考え方が認められ、カメラ毎日が廃刊になってからは姿を消しましたが、長年にわたって良いレンズの指標になっていました。
 廃刊前に載っていたツァイスレンズの評価は、あまりパッとしなかったですね。

 Distagon T*25mm F2.8の評価は、レンズ白書では「周辺ダダ落ちの旧設計レンズ」なんて書き方がされてました。ヤシカの『Tスターレンズの世界』には、別の表現で紹介されています。抜粋してみると・・・
 「このレンズの特長は、中心部のコントラスト、解像力が開放絞り時に非常に良く・・くろうと好みのする味わいのあるレンズ・・」だそうです。
 言い方が違うだけで、いっている中身はどうも一緒みたいですね。信者であるかないかの違いです。

 中判カメラのハッセルブラッドは、カールツァイスのレンズを採用しています。ローライと違って、T*コーティングのマークが入っています。
 500CMまでのレンズは、やはりクセが強かったようです。ひとによって、広角系はいいがゾナーはちょっと・・とか、いろいろ評価が分かれました。ツァイスだからいいに決まってる!という信者もいたけどね。

 レンズのクセとか味は、湧き水みたいなもので、どれが美味いかはひとそれぞれです。硬水も軟水もあるしね(温泉も!)。
 すべてのレンズが純粋な真水だったら、何か味気ない気がします。

2008/05/12(月)カールツァイスの話3

 自社の製品検査に絶対的な自信を持っているカールツァイスですが、バリオゾナーの生産が需要に追いつかないので、日本でのライセンス生産を認めます。
 当時はヤシカがカメラを生産し、レンズの販売権を持っていたので、多分、富岡光学が組み立てを担当したと思います。

 スペックを70-210mm F3.5から、80-200mm F4に変更したこともあり、生産量は大幅に向上しました。価格も安くなりましたね。
 検査は、ツァイスの技師が日本に駐在して行なったので、検査票も付いていました。それ以降、CONTAX用のレンズは、順次日本で生産されるようになりました。
 ツァイスとしては、渋々ライセンス生産を認めた形ですが、その後ズームレンズが主流になったので、結果的に時代の流れにとり残されずに済んだわけです。

 初期のバリオゾナーの70-210mm F3.5というスペックは、立派なものでした。きっちり3倍ズームでコンスタントFナンバーです。しかも、マクロ比率は1:2でした。
 当時、ズームレンズ普及の牽引役だったタムロンの技術者が、「これじゃあ生産量が上がらないのも無理ないね」なんて妙に感心してましたね。ちなみに、タムロンが対抗して出したSP70-210mm[52A]は、F値変動のF3.5-4で、マクロ比率は1:2でした。
 わずかのスペック差が、生産コストや生産量に大きく影響します。

 コンピュータの発達で計算速度が飛躍的に向上したことが、ズームレンズの高性能化につながりました。手計算でやったら数万年かかるレンズ設計が、数ヶ月に短縮できるからです。非球面レンズや特殊低分散ガラスの利用は、コンピュータ抜きでは考えられません。
 実用レベルの高画質と低価格の実現で、ズームレンズ全盛時代を迎えたわけです。
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