2011/07/07(木)スタジオの引越し
昔は服飾関係の店だったそうで、2階から上は老夫婦の大家さんが住居として使っていました。
古いビルだけに、天井高は前のスタジオより高かったのが利点でした。このスタジオは長く使うつもりだったのか、内装には少しお金をかけました。道路に面した物件は、一般客が利用する可能性があると、入口は店舗らしい構えにし、スタジオと棲み分けました。
接客カウンターや背面にストック棚を置いて、一応店舗の体裁です。スタジオとは別に証明写真コーナーも作りました。
カウンターは芸術家の先生に作ってもらった「作品」です。鉄の造形物が専門だけあって、全部鉄で出来ていました。重かったですね。
錆びが出ないか心配でしたが、表面をわざと錆びさせることで、中まで侵食しない特殊加工がしてあるんだそうです。(なるほど)
せっかく入口を店舗の体裁にしたのに、実際には一般ユーザーの利用はあまりなかったみたいです。近所に高級エステかなんか風俗店があって、そこのお姐ちゃんがよくポラのフィルムを買いにきたくらいです。イケメンのアシスタント君とは仲良しだったとか・・・
このスタジオで、写真館の御曹司を集めて商品撮影のセミナーをやりました。そのたびに声が掛かってお手伝いです。
同じ撮影業でも写真館とコマスタでは技法がまったく違います。見るもの聞くもの珍しく、毎回通う熱心な人が何人かいました。10 回くらいやったでしょうか。
後になって先生は、「お前のためにやったようなものだ」とこぼしていました。写真館の人達は、飲み込みが悪かったみたいです。
2011/07/06(水)短かった新スタジオ
いつまで居られるかわからない物件にお金をかけるのはもったいないと、内装はペンキを塗る程度でした。一般客相手の仕事じゃないから、とくに支障はないはずです。
それでも白ホリは必要だったみたいで、新しく作り直しです。天井面にもアールをつけて、天井高が低いのをカバーしていました。
高校時代の先輩に祈祷師(?)がいて、引越し先の床はヤマブキ色が縁起がいい・・との占いです。それならと、入口付近の一室だけ、床をヤマブキ色に塗装しました。床専用の塗料です。こういうことには精通しているから、自分で調達して自分で塗ったそうです。
ところで、なんでヤマブキ色なんでしょうね。入口付近だけ異様な雰囲気だったような記憶が・・・
今までビルの中だったのが一戸建てに引っ越して、近所の会社や商店から撮影の依頼がくるようになりました。ところが料金が折り合いません。近所の米屋はビックリして帰って行ったとか・・・
電通の仕事とは違うんだよ・・と諭したものの、米屋の撮影だからと手を抜ける性格じゃございません。ライオンはネズミ1匹獲るのにも全力で向かうと言います。
そうこうしているうちに、物件の売却先が決まったみたいで、退去することになりました。2年持たなかったと思います。
ヤマブキ色の床が吉と出たのか凶と出たのか? とくに大きな事件は起きなかったから、吉だったんでしょうね。十数年経った今でも、ヤマブキ色の床の印象だけは残っています。先輩の狙いはこれだったのかも?
2011/07/05(火)写真スタジオのホリゾント
東京のスタジオを辞めて独立し地元に帰ってきた・・という話を聞き、仕事場に会いにいきました。保険会社のビルの一室です。戦後は進駐軍が使っていたというだけあって、石造りのレトロなビルでした。
天井が高く、4m くらいあったと思います。壁一面にホリゾントが設置してありました。床との境が見えないように、アール状の傾斜がついたやつです。いわゆる「白ホリ」ですね。
写真館の背景は、キャンバス地に塗装をかけたスクリーンを何本か設置するのが普通ですが、コマーシャル写真はカタログやポスターだから、白ホリ一つあれば事足ります。それ以外の背景色はペーパースクリーンを使いました。
撮影の仕事が入るたびに、白いペンキで塗り直すそうです。下準備が大変ですね。蛍光色の入っていない撮影専用の塗料が市販されています。
しばらくしてそのビルが解体されることになり、先生のスタジオは立ち退くことになりました。急きょ見つけたところは、天井が低くてコマスタ向きではありませんでしたが、敷金なしで家賃が安かったのが魅力だったみたいです。
引っ越したスタジオの白ホリは、床面だけでなく天井面にもアールをつけて、バック切れをカバーしていました。前のスタジオとは雲泥の差です。
写真館でホリゾントを設置しているところは、ほとんどないと思います。知っている範囲でホリゾントを採用したのは、車ごと撮影できるスタジオくらいです。
倉庫を改装した広いスタジオで、床面だけでなく左右の壁面にもアールをつけて、バック切れしないようにしていました。車ごと撮影しようとすると、そこまでしないといけないみたいです。館主が自分で作ったというから大したもんですね。