ずいぶん昔から写真は芸術かそれとも単なる記録か、という論争がありました。個人的には、写真が芸術であるかどうかはさておいて、記録としての価値があることには異論はありません。写真の多くが現実の現象の複写である以上、撮影された目的がどうであれ、年月が経てば記録としての価値が生じます。本来の目的が消失しても記録として残るのが写真が持つ特徴です。
人が素手で描く絵や文字と違って、写真には科学的な技術が介在します。それがアナログ式の銀塩であるかデジタル式の撮像素子であるかを問わず、科学的な要素が不可欠です。写真のデジタル化で化学が科学になったと言えなくもありませんが、化学も科学の一部です。
カメラの原型はカメラオブスキュラと言われています。ラテン語で「暗い部屋」だそうですが、紀元前から知られていた現象です。自分も幼いころに体験したことがあります。南側の道路に面した部屋は、雨戸が木の板でした。朝になると節穴から差し込んだ光が、すりガラスの窓に外の景色を映し出します。ひとつではなくそれが節の数だけいくつもあるわけです。逆さまに映る外の風景は、幼心には魔訶不思議なものでした。
感光材料が発明される前までは、その投影像を手でトレースしていました。絵を描く道具(カメラオプスキュラ)です。節穴がレンズになり、やがて感光材料が登場すると写真機になりました。まだ 170 年ほど前のことです。写真の技術が日本に伝わったのは幕末のことです。上野彦馬など当時の写真家は、芸術家というよりは科学者(化学者)だったわけです。現在ではまず見かけませんが、戦前までは薬局が写真材料店を兼業するケースが多かったそうです。
そんなことを知ってか知らでか、スマートフォンなどのカメラ機能を備えたデジタル機器を使って、いとも簡単にきれいな写真画像が手に入る時代になりました。巷には膨大な画像が溢れています。一方で泡のごとく霧散していく画像も膨大です。それらを次の時代に記録として残すのにも科学技術が関わっています。
今一度「写真は科学だ!」ということを認識する意味があるんじゃないか?というのが、このブログのメインテーマです。
ただし、堅苦しい話ばかりでは面白くもなんともありません。家庭菜園や DIY など身の回りのこもごもとした話題も取り上げていきたいと思います。でも「農業は科学だ」なんて言ってるから、こちらもちょっと理屈っぽいかもしれませんが…