2012/07/13(金)問題意識のある写真
ただきれいに撮れているだけの写真は評価されず、難解でなにか思わせぶりな妖しい映像がもてはやされました。いわゆる「問題意識のある写真」というやつです。
中学生のときから天体写真を撮っていた関係で、写真は科学であり記録だという思いがありました。先輩から「問題意識」と言われても・・・
そのうち、ベトナム反戦や学生運動が盛んになると、写真で何かできるかもしれないと、デモの写真を撮りに行くようになりました。
ベ平連のデモに参加していた人たちは、真面目で大人しい一般市民がほとんどでした。何回か撮影するうちに顔見知りになり、カメラを向けるとニッコリ笑ってくれたりします。高校生だと思って安心したんでしょうね。隠し撮りして吊し上げられた人を見たことがあります。私服刑事と間違えられたみたいです。コソコソはいけません。
当時から肖像権の問題は頭の中にあったので、写真展で公表することはしませんでした。反戦デモの参加者は、祭りで太鼓を叩いている人とは違います。
「戦争か?平和か?」と書かれたプラカードを写しただけの写真が、「政治的」という理由で撤去される世相です。戦争反対を叫ぶ人たちの顔を無断で公開するのには、ためらいがありました。
結局、写真では何もできないと思うようになり、カメラを持ち出すのはやめました。それから長いスランプが続きます。入れ替わるように写真の世界に入っていった人がいます。ベ平連のデモに参加していた M 君です。
当時高校生だった彼は、絵やイラストの作家を目指していました。やがて絵画での表現に見切りをつけ、写真家に転進します。現在はフリーのフォトジャーナリストです。
2012/07/12(木)表現の自由と批評の自由
写真の内容は、当時のベトナム反戦デモのプラカードを写したものです。ビルの夜景をバックに、墨字で「戦争か?平和か?」という文字がくっきり浮かび上がっていました。シンプルでいい写真です。
このデモは友人と一緒に撮影したのですが、暗くてろくな写真は撮れませんでした。トライ X を増感現像した甲斐もなく、まともな写真は彼のその1枚だけでした。
写真展には、中学生のときから撮影に通っていた工廠跡の写真を出すことにしていました。戦前は兵器工場で、戦後は使われずに廃墟になっていた場所です。エピローグには、試射場の盛土に生えた1本の草に、太陽の光が射しているシーンを予定していたのですが・・・
当時の世相から、どうにも情緒的で甘い気がして、彼が写真展をパスすると聞いたとき、エピローグにプラカードの写真を使わせてほしいと頼みました。もちろん他人の写真を借りて使うのはルール違反です。連名で出展することにしました。いままでにないやり方です。
写真の表現に文字を使うのはいいのか、試射場の盛土に生えた草の写真のほうがよかったのか、友人と連名で出展するやり方はどうだったのかなど、当時は自分なりに考え、悩みました。
それへの評価も写真が展示されての話です。個人的に気に入らないからといって、他の人が内容を批評する前の段階で、その機会を奪う権利は、誰にもないはずです。
彼の写真をなぜ勝手に撤去したのか、当事者の先輩に理由を聞いてみました。内容が政治的と感じたのと、高校生は高校生らしくしてほしいと思ったからだそうです。
「高校生らしく」ねぇ・・・
2012/07/11(水)写真展と表現の自由
写真展で一番大事なことは、作者が展示したい写真がそこに展示されていることです。それが、事前になんの相談もなく、一方的に撤去されてしまいました。
「事件」が起きたのは、高校時代の写真部の写真展でした。友人と二人で出した組写真です。このうち友人の写真が1枚、「政治的」という理由で撤去されてしまいました。
写真にクレームをつけたのは、すでに卒業した先輩です。その場にいた部員に指示して撤去させたそうです。その話を聞きつけて、授業が終わるとすぐに会場へ駆けつけました。高校の写真部にしては一丁前に、県立美術館の一室です。
確かにエピローグの写真が撤去されていました。どこに片付けたか聞いて戻そうとしたら、当番の部員が先輩の許可を取らないとダメだと言います。在校生ならまだしも、卒業した OB に何の権限があるんだ!と、大もめしているところへ、その先輩がひょっこり現れました。日ごろ見かけたことのない顔です。
一応挨拶を切ってから、写真を勝手に撤去したことに強く抗議しました。理路整然滔々と語る姿に圧倒されたのか、初めは先輩面して偉ぶっていたのが、次第にトーンダウンです。
言い争ったのは、写真の内容ではなく、表現の自由です。あなたには私達の表現の自由を奪う権利はない、という点でした。最後は折れて、勝手に撤去した非を認めました。
この OB は、貴重な教訓を残してくれました。もし卒業した後に後輩に接する機会があったら、けっして偉そうに先輩風を吹かせてはいけない、ということです。いい反面教師でした。