2011/04/12(火)地デジアンテナのテスト

 前から懸案だった地デジアンテナを買いました。室内・屋外兼用のフラットタイプです。室内で使えるとは思っていませんが、外壁か物干台のポールに設置する程度のことなら自分でできます。

 機種は DX アンテナ UAH 900。八木式 25 素子相当だそうですが、方式が違うから単純に比較はできないと思います。電波塔方向に鉄筋2階建ての隣家があって、平屋の我が家はすっぽり陰になる状態です。電波塔から直線距離で 10km ちょっとにしては、不利な環境です。

 とりあえず室内で試してみることにしました。この前買った地デジチューナーの横に床置きして、その辺にあったビデオデッキ用の同軸ケーブルでつないでみます。
 はき出し窓から 3m ほど内側ですが、一応受信しているようで、地デジ放送が映りました。意外と簡単に映るもんですね。

 リモコンでアンテナレベルを表示してみると、CATV の共同配信ほどでないにしても、そこそこの数値が出ています。自家アンテナだから、放送局によってバラツキがありますが・・・
 出力の弱いテレビ愛知は、限度ギリギリみたいで、そばでパソコンを操作していると、画面が乱れることがあります。室内でこの程度なら、屋外に設置すれば問題ないでしょう。

 と言っていたら、今度は CBC が乱れまくりです。先ほどまで不安定だったテレビ愛知は、かなり落ち着いてきました。地デジは、このあたりが微妙ですね。
 室内でアンテナの位置を高くしたり、同軸ケーブルの長さ(1.5m)いっぱい窓側に寄せたりすると、数値が上がります。

 当初の計画通り、屋外に設置することにしました。室内で何とか受信できていれば、屋外ならバッチリでしょう。まずは同軸ケーブルとコネクターを買ってこないと・・・

2011/04/11(月)自治体の消防団

 自治体ごとに消防署が整備され、最近では消防団というのはあまり見かけなくなりました。一部の地域を除いて、組織はあるはずですが・・・
 私の町内では、夜回りが「火の用心」と拍子木を打ちながら巡回しています。消防団の人でしょうか? 年配者ばかりだから、老人会かもしれませんね。

 普段別の仕事を持っている人達が団員だから、いざ火事というときに駆けつけられない場合があります。119 番通報が行くのは消防署だし・・・
 消防というよりは、地域の災害時に活動するための防災組織に変わりつつあるようです。「酸化セリウム」の先生と話をしていても、消防団のことは出てこないところをみると、あまり活発な活動をしていないのか、それとも組織自体がないのか?

 ネットで調べてみたら、本部は市の消防本部総務課になっていました。市のサイトでは、消防団員を募集しています。
 「消防団に参加しませんか? 消防団員は、ボランティア的活動をする、非常勤の特別職の地方公務員です! みんなの町を守る消防団 若い力を期待しています」

 市内に居住または勤務の 18 歳以上の方で、身心強靭な方・・となっています。「身心強靭」のほかに、「若い力を期待・・」というくだりがあるから、先生も私も対象外ですね。男女の区別は記載がありませんでした。

 活動報告の写真には、女性の姿は見当たりません。人数はそこそこ写っていますが、人口(30 万都市)の割には少ない気がします。「組織概要」によれば、団員の定員は 119 人。やはり少ないですね。そのうち女性はゼロでした。
 ほかの地域では、消防団員のなりてがなくて、女性団員の比率が増えているそうです。自治体の事情にも因るでしょうが、女性団員が活躍しているのは、消防団が生活に密着している地域の話だと思います。

2011/04/10(日)町内会の危機管理

 「酸化セリウム」の先生は、町内会長を引き受けてから、危機管理の提案をしてきたそうです。どの家庭に井戸があり、どこが自家発電機を持っているか、町内会が把握しておくべきだという意見です。
 ところが、誰も真剣に耳を貸そうとはしなかったそうです。個人情報保護法の関係で、町内の連絡網を作るのが難しくなっているのも一因です。

 今回の大震災で、その辺の事情は一変しました。近くの幼稚園に太陽光発電があるが、容量は 5kw 程度しかないとか、井戸がある家でも停電時に汲み上げる発電装置がないなど、具体的な情報が集まりつつあります。
 個人で災害時の設備を揃えるのには限界があります。町内会で情報を集約し、いざというときには、自分たちの街は自分たちで守る・・という体制を整えたいと言っていました。

 幸いにも先生の自宅周辺は海から遠く、津波の心配はありません。岩盤もしっかりしていて、古くからのお寺や神社が点在しています。先生の家自体が、何百年もの歴史があります。地震による被害は、それほど心配する必要はなさそうです。
 備えるとすれば、停電や断水になったときに、復旧するまでの期間をどう凌ぐか?です。あとの問題は火事ですね。

 母親の話では、終戦直前の東南海地震のときは動員先の工場にいて、地割れが起こり怖かったそうです。それでも一番怖かったのは空襲だと言います。空から焼夷弾が雨のように降ってきて、周りの家は全部焼けてしまいました。空襲では、当時の町内会は、なすすべがなかったでしょうね。

 なぜか母親の実家はポツンと焼け残りました。昭和レトロの古い家です。ご近所に申し訳なくて、暫くは窓も開けずにじっと家の中に引きこもっていたそうです。
 母にとっては、災害で怖かったのは地震よりも火事だとか・・・
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