2011/08/25(木)30年前のデジカメ

 CAPA 創刊号のニュース欄に、ソニーがマビカの試作品を発表した記事が載っていました。一番最後に小さな扱いです。デジタルカメラという呼称が定着する前の段階で、「注目の電磁写真機登場」という表現です。

 30 年前といえば、デジタル写真がまだ認知されていない時代です。「ビデオのスチールカメラ」という表現どおり、2インチのフロッピーディスクに、アナログ記録する方式を採用していました。
 パソコンではなく、テレビで観賞するのが目的です。パソコンのモニターで観賞するためには、ビデオキャプチャーボードが必要でした。

 開発の契機は、1984 年のロサンゼルスオリンピックだったようです。キヤノンが報道用に電送システムを提供した記録が残っています。2年後に発売されたシステムは、一式で 500 万円以上したというから、報道関係などの業務用ですね。
 その後、一眼レフボディーにスチルビデオバックを装着する方式が各社から提供されましたが、個人が買える金額ではありませんでした。

 家庭用の電子スチールカメラとして登場するのは、1988 年のマビカ MVC-C1 あたりからです。テレビでの観賞が目的で、プリントできるほど画質がよくなかったせいか、あまり売れなかったみたいです。
 外部メモリーにデジタル画像を記録できる、現在のようなデジタルカメラが登場するのは、それから 10 年ほど経ってからです。

 CAPA 創刊号にマビカの試作機が紹介されてから、実用レベルのデジカメが登場するまでに、実に 20 年近い年月を要しました。ところが、それから5年もしないうちに、世の中は様変わりします。
 デジカメが普及し始めた今世紀初頭に誰かが言ってました。「いま我々がいる世界はドッグイヤーだ」(犬の1年は人間の7年なんだとか)

2011/08/24(水)30年前のカメラ雑誌_3

 30 年前の CAPA 創刊号に、「各社人気一眼レフ・機動力アップ大作戦」という特集記事が載っていました。一眼レフで標準レンズしか持っていなのはもったいないと、システムアップを勧めています。

 各社人気一眼レフは、PENTAX ME Super、OLYMPUS OM-10、Canon AE-1+P、COSINA CT-7、Konica FS-1、Nikon FE、FUJICA AX-3、Mamiya ZE-2、minolta X-7 Black、CONTAX 139Q、RICOH XR-S の 11 機種です。

 本格的 AF 機α7000 が発売される3年半前の記事で、オートフォーカスはまだですが、電子化が進み自動露出が主流でした。Canon と Konica はシャッター優先、その他は絞り優先です。AE-1+P はプログラム AE のハシリです。
 ダイカスト削り出しではなく、プラスチック化が進んだころのカメラです。ワインダーやモータードライブは後付けで、別売でした。Konica FS-1 だけが自動巻上となっています。

 この中でコシナだけは一般のカメラ店ではなく、長野県と東京新宿の直販店でのみ入手可能でした。いまみたいにネット通販のない時代です。
 Kマウント採用で、ME Super \55,000、XR-S \52,500 に対し、CT-7 は \35,000 と格安でした。(いずれもボディーのみ)
 特集記事の中で紹介されていたのは、COSINON 28mm F2 です。F2 の大口径で \19,600 というのは、驚きです。

 125 ページにコシナの広告が出ています。レンズの前枠に「LENS MADE IN JAPAN」の文字がクッキリと刻まれていました。主に輸出用として生産されていたようです。
 現在のコシナとは、ユーザーの抱く企業イメージがだいぶ違っていたと記憶しています。

2011/08/23(火)30年前のカメラ雑誌_2

 CAPA 創刊号を見ていて、30 年前がどうだったのか、興味深く観察しました。カメラメーカーの広告も懐かしいですが、特集記事の内容も時代を感じさせます。

 「スターびっくり写真展」に登場するスターは、井上純一、川崎麻世、榊原郁恵、高見知佳、三原順子と、懐かしい顔ぶれです。
 若い人は、三原順子は元々政治家だと思っているかもしれませんね。この前の参院選で自民党から立候補して当選しています。

 三原順子は、マネージャーの Nikon F2 を借りて、セルフポートレートで紙面を埋めていました。当時から自己顕示欲が強かったのかも?
 榊原郁恵は、ミノルタのコンパクトカメラ AF-D で、自分の知り合いの写真を撮りまくっていました。森昌子も写っています。性格の違いが出て面白かったです。

 川崎麻世の撮った石野真子と松田聖子のスナップ写真は、掲載に本人の承諾を得ているか微妙です。松田聖子のデビューは前年で、まだ売り出し中です。どちらも当時は駆け出しだったかったから、宣伝になればいいか・・ということだったのでは?

 中綴じのグラビアは、柏原よしえです。清純派らしく、ちゃんと服を着ています。
 中折4ページ見開きの水着の写真は、ハワイで現地モデルを撮影したものです。6x6 判4カット分を使ったパノラマ画面は、CAPA 特製のワイドカメラだそうです。フィルム枠に KODAK SAFETY FILM 6036 の文字が・・・
 エクタクローム 200(EPD)ですね。2006 年に販売終了となりました。

 60 ページ目のコダックの広告は、「なぜ、プロはコダックなのか」というキャッチコピーです。ところが右下に載っているフィルムパッケージは、なぜか Kodacolor Ⅱでした。
 当時のアマチュア写真家は、リバーサルではなくてネガが主流だったんですね。思い出しました。
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