2008/07/22(火)証拠写真のデジタル化
フィルム式のカメラがほとんど製造中止になるなか、いつまでも銀塩写真に固執しているわけにもいきません。どこかでデジタル写真が「解禁」になると思います。
相手が認めれば、デジタル画像でも証拠として採用する流れになっています。
先日、警察に材料を納品している写真屋さんと話をしたときに、修整していないことを証明するソフトが、そろそろ完成するらしい・・という情報を聞きました。これが認められたら、一気にデジタル化するだろうとの読みです。
各県警本部に設置してある銀塩プリンターは、デジタルデータからもプリントできるので、印画紙での出力は当面残るだろうけどね。急ぎの場合は、出先のプリンターで出力・・てなことになるかもしれません。
デジタル写真は、プリントの状態でなくても利用可能です。
白黒のテキストデータと違って、写真はプリントアウトのコストが高いので、CD-Rなどのデジタルメディアにすれば、価格は安いしかさばりません。
モニター画面に一部を拡大表示したり、特定の色だけを抜き出したりできるので、小さなプリントよりも生のデータのほうが便利な側面があります。
CD-Rやブルーレイにコピーするときにも、未修正の証明が付与されるんでしょうか?
簡単に加工できるのがアダのデジタル写真ですが、ブライダルフォトの世界では、画像処理のしまくりです。
お花やハートマークをいっぱい散りばめて、写真集の新郎新婦は幸せそうですね。
2008/07/21(月)創業者の懐刀
でも、ノーリツ鋼機がなくなっては、銀塩カラープリンターの命運は尽きてしまいます。ここは何とか踏ん張って欲しいですね。
創業者の西本貫一氏(通称=西貫さん)は、立志伝中の人物です。モノクロ印画紙の水洗器から始めて、最後は銀塩プリンターのトップメーカーに登りつめました。
3年ほど前に90歳でお亡くなりになりましたが、絶対的な存在でした。
ノーリツ鋼機の社内では、脱銀塩の話が何度も持ち上がりましたが、その話を聞いて西貫さんの容態が急変してはいけないと、いつも社長の手前で話が立ち消えになったと聞いています。
どこか、松下幸之助さんと似てますね。「松下」をなくしてパナソニックにブランドを統一するまでに、かなりの年月を要しました。偉大な創業者の「弊害」ですかね。
西貫さんがいかに偉大でも、企業をここまで大きくするには人材が不可欠です。何人か「懐刀」がいたはずです。佐谷社長になる前まで役員をやっていた池○氏は、その筆頭でしょうね。
自動現像機のメーカーがまだ日本になかった時代に、アメリカに渡り研究してきたそうです。西貫さんに「頼む!行ってくれ」と言われたからとか・・・
言葉はわからないし苦労した・・という話を本人から聞いたことがあります。
苦労して世に送り出した自動現像機は、トラブルが起きると写真屋さんではどうにもなりません。夜駆けつけて修理してから、徹夜で現像・プリントを仕上げておいたら、写真屋のオヤジさんが朝飯をご馳走してくれた・・なんて話も聞きました。
こういう人材を抱えておくゆとりがなくなったあたりから、業績の低迷が始まります。ノーリツ鋼機がんばれ!
2008/07/20(日)創業家の貫禄
使用中だったので遠慮して、写真室は見せてもらいませんでしたが、創業時は「西本写真館」だったそうです。さぞかし立派な写真スタジオだと思います。
知り合いの商社員が大阪転勤時代に西本カメラを担当していたので、たまに話を聞くことがありました。
時代の流れで、西本カメラも卸商社からメーカー直販へと仕入ルートの見直しをしていたときの話です。
いままで卸商社(問屋)から仕入れていたカメラをメーカー直販に期限を決めて移行していました。とうとう来月から帳合(取引窓口)が変わろうというときに、商社の担当者が本店に呼ばれました。
仕入担当の責任者から、「○さん、今月で最後だからカメラ買おうか」と言われたそうです。
普通なら、残った在庫の返品話になるのが当たり前の世界です。それが、最後にまとめて買ってやるというのだから、担当者は感無量だったでしょうね。その辺の大手量販店とは、基本的な考え方が違います。
創業家の意向でノーリツ鋼機の経営陣刷新を図ったそうですが、銀塩の写真産業に固執する限りは、展望は開けません。
富士フイルムみたいに、医療関係にでもシフトしていくつもりなんでしょうか?
銀塩プリンターの製造を続けていくためにも、新しい分野への進出は不可欠です。その気になれば、飛行機以外なら、何でも作れると思うんですけどね。