2010/10/19(火)量販店の主戦場は都心へ
このきっかけになったのは、ヨドバシの大阪梅田店だと言われています。都心でありながら長らく「駅裏」として見向きもされなかった場所にビルを建て、一躍関西圏の「名所」にまで踊り出ました。
ヨドバシの大阪進出は、インパクトが大きかったようです。それまで地元で名を馳せてきた老舗のカメラ店は、屋台骨が傾くくらいのダメージを受けたと言います。
デパート1店分の建物全部が、デジタル家電と電気製品・バラエティー商品で埋め尽くされていました。いままで郊外にしかなかった家電量販店を超える大型店舗が、都心に現われた衝撃はかなりのものだったようです。
しばらくして、ヤマダは難波に出店します。ヨドバシ進出を見て、都心型の店舗を模索しはじめたと、周囲の関心を呼びました。
銀塩式デジタルプリンターを備えた写真コーナーまで作ったそうで、ヨドバシやビックを意識していたのは間違いないと思います。カメラ系量販店が写真に強いのは既知の事実として、銀塩プリンター設置が対抗策というのは、少々ピントがズレている気がしないでも・・・
第3次新宿戦争の勃発で、他県も含めた商圏地図が変わると予測するひとがいます。電気製品を買うなら激戦区の新宿へ・・という流れになるのでは?との読みです。
しばらく目が離せない情況が続きそうです。
2010/10/18(月)「第2次新宿カメラ戦争」
場所は、西口の小田急ハルクです。駅から雨に濡れずに買い物ができる・・というフレコミでした。
力をつけてきたビックが、立地条件のよい駅前に出たことで、ヨドバシは首根っこを押さえられた形となります。さすがのヨドバシも苦戦を強いられるのではないか?との下馬評でした。
ところがフタを開けてみると、ヨドバシ善戦との情報が伝わってきました。ビックは敵地に橋頭堡を築いたものの、ヨドバシを追込むところまではいかなかったようです。
業界通によれば、それはノウハウの違いだと言います。長年培ってきたヨドバシの人材教育や販売ノウハウは、一朝一夕で真似できるものではなかったようです。
一方、攻める側のビックの分析は、2階から上のフロア展開では、テナントの1つとしてしか見てもらえなかった・・ということでした。地べたから借りられなかったのが「敗因」だという言い分です。
どちらの見方が当たっているかはわかりませんが、ビックが地べたから借りることに拘るのは、このときの「教訓」が影響しているとか・・・
男性層を中心にヨドバシ、女性層はビックが取り込んで、うまく棲み分けているのが、現在の新宿だという人もいます。
そこへ今度はヤマダ電機の新宿進出です。今春まず東口に出店し、近いうちに西口にも出店する計画だそうです。
今度の「第3次新宿戦争」からは「カメラ」の字は外されています。前回もカメラがメインではなかったけど、カメラ系量販店同士の戦いでした。今度は電器系量販店との戦いです。
2010/10/17(日)今は昔「新宿カメラ戦争」
安売りで鳴らしたヨドバシと、激しい客の奪い合いとなりました。スパイ大作戦もどきの偵察合戦が繰り広げられたと言います。コートの襟に仕掛けたマイクに、何やらボソボソと「独りごと」を言っていたのは、敵方の価格を調べるスパイだったとか・・・
ヨドバシは黄色い特価表で、ドイは情報誌を発行して、ユーザー層にアッピールしていました。近隣のカメラ店にとって、この紙爆弾は手痛い打撃を与えたそうです。
拡大路線のヨドバシは、それまで「さくらや」の牙城だった新宿東口にも出店しました。戦火は新宿全体に広がっていきます。
敵方の店を双眼鏡で観察し、人気機種が売り切れたと見るや、自店のプライスを書き直す様子がテレビで紹介されました。補充されたら、また元の値段に戻します。
東京ならではのドライでシビアな価格競争の様子が、全国に放映されました。
面白おかしくマスコミが取りあげたことで、新宿はカメラ安売りのメッカとして知れ渡ります。当時のヨドバシの広告には、首都圏の鉄道路線図が載っていました。電車賃を払っても新宿で買ったほうが安いという宣伝です。
この新宿カメラ戦争は、ヨドバシの一人勝ちで収束します。スポーツ用品の量販店が、途中で参入したものの、すぐに撤退しました。カメラはスポーツ用品ほどおいしくなかったようです。