2011/08/19(金)OVFは面白い
光学式のほうは一眼レフと違って、実際に写る範囲よりも広く見えます。内側の四角いフレームが写る範囲です。レンジファインダーと同じ感覚ですね。
電子式に切り替えると、撮像素子が捉えた視野率 100% の画面が表示されます。ファインダーから目を離すと、本体背面の液晶モニターに切り替わるという、細かい芸までしてくれます。
実写画面よりも広い範囲が見えるのは、レンジファインダーの特徴です。個人的には、一眼レフを多用しているのですが、撮影するときは両目を開けています。ファインダーの画面は、等倍かそれよりも狭い範囲しか見られないからです。
右に左にズームリングを動かして、ファインダー内だけでフレーミングするのは、まどろっこしい気がします。両目で見て、一発で決めないと・・・
メガネ屋で視力を測ったときに、右目が利き目だと言われました。どちらが利き目かは、簡単に調べられます。利き目でファインダーを見ながら、もう一方の目で全体を眺めている形です。利き目が逆だとどうかは、よくわかりませんが・・・
X100 は単焦点だから、実写画面より広い範囲が見えたところで、ズーミングで画角を変えることはできません。自分の足で被写体との距離を変えることになります。それでもフレーミングを少しずらすことで、バランスのよい構図を得るには便利な機構です。
ミラーレス機の外付けビューファインダーでも似たような使い方ができます。こちらはあまり正確ではないから、スナップ用と割り切るべきでしょう。
2011/08/18(木)視野率100%の拘り
普及型では、ファインダーで見るより広い範囲が写ります。一般的に視野率は対角線で表わすから、視野率 95% だと面積比で9割しか見えていないことになります。90% で約8割です。
フィルム時代には、原板をデュープ(複製)するときに視野率 100% でないと不都合な場合がありましたが、普通の撮影では、多少余分に写っても困ることはありませんでした。マウント枠やフィルムキャリアのケラレがあるから、少し広めに撮れるほうが違和感が少ないはずです。
視野率をきっちり等倍にするのは、かなり難しいとされています。そのぶんコストが掛かります。必要のない機能であれば、余分なお金を払うことになります。
それでも視野率 100% に拘る人は大勢います。高級機のステータスのひとつになっているからなのか、それとも神経質な人が多いのか?
往年の名機ニコン F/F2 は視野率 100% でした。それに対し、キヤノン F1 は 97% でした。たった 3% のことですが、次点の扱いに甘んじた理由のひとつでした。
光学式の一眼レフファインダーで視野率 100% は、それほど難しい技術だったみたいです。ニコンがフラッグシップ機にしか採用していないところをみても肯けます。
PENTAX のフラッグシップ機 LX は、縦 97%、横 95% でした。デジイチの K-7 が、ほぼ 100% だったのを画期的とする評価があったのは、記憶に新しいですね。
デジタル一眼レフの場合は、ライブビュー機能のある機種なら、そちらで等倍で見られればいいのでは? 光学系で 100% にするよりもコスト的に安く済むと思います。
これからは電子式のファインダーが増えそうな気配です。普及型でも視野率 100% の時代がやってきました。
2011/08/17(水)善意の押売りはトラブルの元
1/4 平米ほどとはいえ狭い家がさらに狭くなるし、盆と正月の年に2回使うだけです。被災地で役に立てばと、支援プロジェクトに登録しておきました。それだけのことです。
ところで、昨日行なわれた五山の送り火で、高田松原の薪を使うかどうか揉めたことに、いろんな意見が寄せられています。例によって匿名性をいいことに、無責任な発言が目立ちますが、ここへきて冷静に捉える意見が増えました。
被災地の薪を大文字保存会が受け入れたとのニュースを最初に聞いたときには、「えっ?」と思いました。薪といってもただ燃やす木ではなくて、地元の人は神聖な護摩木として大事に扱ってきました。大文字の場合は、東山如意ケ嶽の赤松を使うのが慣わしのはずです。
粗相があったり、燃え方が悪かったりすると縁起も悪いそうで、準備に気を遣うと聞きました。
被災地の鎮魂とはいえ、ほかの地域の薪を使うのは異例のことです。発案者が地元の人ではなく、九州の芸術家というのも引っ掛ります。よそ者の提案でよその薪を使うと聞いて、伝統としきたりに拘る京都人もずいぶん変わったな・・というのが率直な感想でした。
ところが土壇場になって高田松原の薪を使うのは一転中止となりました。その理由が、放射能を心配する市民の声・・というのは、どうにもいけませんね。風評被害を助長する了見の狭い考えと、一斉に非難を浴びる形となりました。
京都市が調整に動き、高田松原の薪を改めて受け入れることになりましたが、祈りを記した薪は、すでに迎え火として地元で燃やされた後でした。別の薪を使う話も放射能検出を理由に見送られます。
「皆で検討した結果、伝統的な慣習は変えられない、別の形で協力させてもらえないか」と、初めの時点で提案していれば、ほとんどの人が納得したと思います。仮に外野から「京都人は排他的」という声が上がったとしても、そのほうがよかったのでは?
なんとも後味の悪い結果になったのは、鎮魂を願う被災者にも伝統を重んじる人々にとっても残念なことでした。