2011/07/10(日)自宅スタジオは機材庫
そこで商売する気はないし、住居は母屋のほうだから、固定資産上は倉庫の扱いです。その気になればスタジオとしても使える・・という位置づけです。
こちらもちょうど引っ越して、機材を置いておくスペースがなくて困っていたところでした。暗室道具やライトスタンドなど、先生が使えそうな機材を預かってもらうことにしました。
天井がフラットな場所が少ないのに、マンフロのポールキャットは何本あってもいいそうです。気を利かせてベーススタンド付のを持っていったら大歓迎でした。
ブームスタンドは既にあるから、2本もいらん!とおっしゃるかと思いきや、「これは使えそうだ」と喜んで預かってもらえました。「ところで、なんでこんなものまで持っているんだ」と不審な顔をされましたが・・・
写真館が使うキャンバス地のロールスクリーンも何本か預けてあります。廃業したスタジオから引取ったのですが、自分には使い道がないので、引受先が見つかるまで預かってもらうことにしました。
しばらくして立寄ったら、暗室の壁に多段式のフックを取り付けて、きちんと保管してありました。「できればこれはよそに売らないでくれ」と言います。使い道があるならと、そのままにしてあります。
コマーシャルから足を洗った途端に機材が増えて、複雑な心境だそうです。それでも撮影機材には目のないほうだから、邪魔にはならなかったみたいでよかったです。
「お前の機材を預かるために建てたようなものだ」と言いながら、そのうち持って帰れ!とはおっしゃいません。スタジオも暗室もいつでも使っていいそうです。(しめしめ)
2011/07/09(土)プライベートスタジオ
高校時代まで住んでいた離れに増築する形で、高さ 5m のガリバリウム屋根の新築建物をドッキングです。元からあった離れは、太い梁の木造平屋建てです。
もうコマーシャルの撮影はやめたのに、スタジオを建て増しするとは、ずいぶん贅沢な話ですね。
やめたといっても、美術関係の撮影の仕事は続けています。電通など広告代理店の仕事はしないというだけです。自由にライティングできる空間が欲しかったのでしょう。家賃が要らないから、長い目でみれば元は取れると思います。
新しいスタジオができたと聞いて、コマスタ時代の関係者から「時間貸しで使わせてほしい」と声がかかりました。先生からいくらで貸したらいいか相談があったので、「そんなことのために造ったわけじゃないでしょ」と返事しておきました。「作家活動の拠点にするんじゃなかったの?」
しばらくしてから、「いやー、いい忠告をしてくれた」と、感謝の電話です。よく考えたらお説のとおりだと、きっぱり断ったそうです。
コマスタ時代の仕事の関係だけで、個人的な付き合いをしていたわけではないから、相手の都合のいいように利用されるだけです。魂をカネで売っちゃいけません。
「お前が使いたいときは、いつでも使っていいぞ。タダで」と言ってました。手伝ってやってもいいそうです。お金をもらわなければコマーシャルの仕事じゃない・・ということだそうです。そうこなくちゃ。
2011/07/08(金)スタジオの引越し(続編)
ただ中心街に近いだけあって、家賃は安くなかったみたいです。しかも、1階の立地でアテにしていた「小売部門」はパッとしませんでした。
あの先生に一般ユーザーへの小売を提案したのは、間違いだったようです。家賃の足しになればとの発想でしたが、ほとんど実利はなかったみたいです。
高校時代の同窓生が印刷会社をやっていて、そこの契約カメラマンが撤退したので、代わりに来ないか?と誘いがありました。印刷会社のビルの1室です。
小売部門はパッとしないし、家賃の負担が重かったこともあり、そこへ移転することになりました。印刷会社の仕事が回ってくるメリットを優先したようです。
前のカメラマンがスタジオとして使っていた割には、手直しする箇所がいくつかありました。遮光のために窓に内扉をつけるなど、大工仕事が必要です。あまりお金をかけられないので、スカイライトの天井工事は手伝いました。
お金をかけないとはいっても、これだけ何回か引っ越すと無駄な出費がかさみます。いわゆる引越貧乏ですね。折りしも写真のデジタル化で、撮影機材やパソコン関係の出費が増え、台所は火の車だったみたいです。
機材に投資したのに、写真に要求されるクォリティーが低くなり、撮影単価は下がる一方です。こんな仕事はしていられないと、コマーシャルフォトから撤退することになりました。
この印刷屋のビルが最後の事務所兼スタジオになりました。大地主で家賃収入があるから、出て行く経費がなくなれば黒字です。
いくら腕がよくてもそれで食べていけないのがコマーシャルフォトの世界です。足を洗って正解だったと言ってました。