2008/04/14(月)高いカラーメーター

 以前、知り合いのスタジオを借りて、頼まれものの撮影をしたときの話です。
 カメラメーカーの専用ストロボではなく、スタジオ用のストロボを使いました。ホワイトバランスがオートのままでは、不都合が生じます。とりあえず、デーライト(5500K)に固定しておいてからテスト撮影します。

 「おい、ちょっと黄色くないかい?」といったら、「どれどれ」とカラーメーターを出してきて、「お、4900ケルビンか・・」との返事。スタジオのストロボ照明は、大抵5100-5300Kくらいです。色温度が少し低くなっていました。
 カメラの色温度を固定して、あとはバッチリです。

 こんなに色温度がズレているのに、いままでどうやってたんでしょうね。
 リバーサルフィルムを使ってスタジオで撮影する場合は、補正フィルターが必須です。エマルジョンナンバー(乳剤番号)によって、2.5%から5%程度のCCフィルターをかけて補正します。(プロラボから乳剤番号と補正値のデータが提供されています)
 フィルター補正が常態のスタジオですから、22ミレッド程度の差ならLBB2をかけるだけのことです。でも、レンズの前につけるフィルターは、できるだけ枚数を少なくしたいので、光源を補正したほうがよいと思います。

 カラーメーターは便利ですが、お値段は立派です。
 現在販売されているkenkoのKCM-3100は、\178,500です。フラッシュメーターの上位機種KFM-2100が\73,500ですから、10万円以上高いですね。
 とても素人が手を出せるシロモノではありません。

 色温度がズレている旧タイプのカラーメーターでも、持っていないよりかはいくぶんマシかもしれませんね。

2008/04/13(日)カラーメーターの話

 露出計の話をしていて、前時代のカメラの話に脱線してしまいました。一眼レフが一種のステータスだった時代もそろそろ終わろうとするころの話です。
 カメラ雑誌に「ニコン貯金」なんて広告が載っていた時代もありました。当時の月給では買えないくらい一眼レフは高嶺の花でした。いまでは1ヶ月の給料で買えないカメラは、一部の高級機を除けばありません。

 露出計のなかに「カラーメーター」と呼ばれる機種があります。明るさを測るだけでなく、色温度や色の偏りを測る機能がついています。
 写真撮影を職業にしているひとでも、カラーメーターを持っていることは稀です。リバーサルフィルム中心のコマーシャル系くらいでしょう。

 国内で使われていたカラーメーターは、ミノルタ製が多かったですね。コニカミノルタがカメラ市場から撤退して、入手できなくなるのでは・・と心配したプロもいました。
 現在は、ケンコーからOEM品が販売されています。よかったですね。

 ミノルタブランドの露出計は、カメラ事業を引継いだSONYが、修理も請け負っています。ひとまず安心・・といいたいところですが、旧型のカラーメーターは、難しいみたいです。

 手元にあるⅡ型は、400ケルビンほどズレています。コニカミノルタへ修理に出したので、直っているものだと思い込んでいました。
 「何回出してもダメだ!」と修理に不満をいうプロがいたので、ひょっとしたら・・と調べてみると、やっぱり400Kズレたままです。(修理代、返せ!)
 どうやら、修理のウデが悪いというよりも、Ⅱ型そのものが不安定のようですね。

 ずいぶん前に修理に出してから、ほとんど使っていないくらいですから、ズレたまま放置してあります。写真でメシを食べているのなら、新型に買い換えてもいいですが・・・

2008/04/12(土)AE-1の功績と功罪

 「連写一眼」でトップに躍り出たキヤノンAE-1には、功績と功罪の両面がありました。シャッター速度優先か絞り優先か、という論争は、プログラムオートの出現で鳴りをひそめましたが、シャッター速度と絞りの関係を知らしめる、よいきっかけにはなりました。

 もうひとつ功績(功罪?)があります。
 それまで、一眼レフが踏襲してきたダイカストボディーと金属外装の撤廃です。精度を命題とする一眼レフには、ダイカストをくりぬいた堅牢なボディーと金属の外装が常識でした。
 キヤノンAE-1は、鉄板を「コ」の字型に折り曲げた部品にパーツを組み付け、プラスチックの外装をかぶせた「紛い物」でした。一見必要ない?と思われる電子シャッターを組み込んでも低価格を実現できたのは、こうした型破りの発想でした。

 当時、他のカメラメーカーの技術者は、「あんなのはカメラじゃない!」と揶揄していましたが、トップシェアを取ったことで、「ま、それでもいいか・・」という空気に一変します。
 「勝てば官軍」ですね。

 それからしばらく経って、ミノルタの豊川工場を見学させてもらったことがあります。帯状の鉄板をプレスして「コ」の字型に折り曲げる機械がありました。
 「今ではこれが一眼レフの骨格です」と、工場の技術者が皮肉まじりに説明していました。すぐ横に、ダイカストボディーをくりぬく機械が展示してありました。「いまは使っていませんが・・」といいつつ、捨て難いという強い姿勢を感じました。
 自動車のボディーから頑丈なシャーシが消えたのと同じですね。堅牢性は落ちたかもしれませんが、軽量化と低コスト化には貢献しました。

 電子化でプリント基板を絶縁するのに、プラスチックの外装はうってつけでした。PENTAXもMEまでは金属製の外装でしたが、そのあとはプラスチック製に変更しています。
 それまで、ブラックボディーのほうが高く表示されていた価格は、シルバーと同じになりました。本当は、シルバー仕上げのプラボディーのほうが割高だったそうですが、過去の習慣から逆にすることはできなかったようです。

 近頃は、高級一眼レフで、ダイカストボディーや金属カバーをウリにしている機種があります。「本造り」というわけです。
 昭和40年代までの一眼レフなら、AE-1を除いて、普及機でもダイカストボディーで外装は金属でした。(ジャンク品をバラしてみればわかります)

 一眼レフカメラが「ステータス」ではなく、「消費財」に転落したのは、キヤノンAE-1の功罪かもしれませんね。
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