2008/11/03(月)モノクロ写真の印刷
印刷の仕上りが気になったからです。
たまたま本棚にあったのは、臼井薫氏の写真集「アルセーヌ・ルパン」です。昭和60年の出版だから、多少の変色はありますが、当時のモノクロ作品の持ち味を最大限に再現しようと努力した跡が見てとれます。
この先生は、モノクロプリントにうるさかったですからね。
臼井薫氏は二科会会員で、いままでに何冊も写真集を出しています。記憶にあるのは、ほとんどがモノクロームです。
第1作目の「海桐花(とべら)の樹の下」や「街道」など、何冊かあったはずですが、誰かに貸したままになっていて、手元には「ルパン」しか残っていません。
このルパンのモデル役は、俳優の天知茂(故人)だったという噂を聞いたことがあります。実は、臼井薫氏は歳は離れていますが俳優・天知茂の実兄です。幼い弟を背中に負ぶって親代わりに面倒を見たとか・・・
何カットかに起用したのかもしれませんが、写真集では、モデルは「杉山久晶君」となっています。肖像権などの問題で名前を伏せたんでしょうか?
天知茂が亡くなったあとで、追悼の写真集を1999年に出しています。弟想いですね。
ふたつの写真集を見比べていて、臼井先生の写真集からはアナログの銀塩写真の匂いが強烈にしてきます。その違いは粒状性の違いです。
狂言の写真集も大半は銀塩フィルムによるものですが、デジタルデータに変換してから入稿しています。粒子が適度に整理されて、銀塩独特のランダムなザラつき感が薄くなっています。
印刷技術のデジタル化で、モノクロームの世界も微妙に変わってきています。
「無粒子」のデジタルに対比するアナログ写真は、いかに微粒子に現像するかではなくて、いかに粒状感を出すかが命題になるのかもしれません。
1960年代後半の森山大道を思い出しますね。
2008/11/02(日)モノクロの写真集
すべてモノクロ写真で、90ページ近い立派な写真集です。
もともとこの写真集は、狂言愛好家の会員に配布するためのもので、書店等では販売していません。非売品です。
何度か撮影の手伝いをしたことがあったので、興味深く拝見させてもらいました。(ちゃんと入場料を払ったうえでのお手伝いですが・・)
歌舞伎や演劇の舞台と違って、狂言の舞台は能楽堂です。
あの独特の暗くて茶っぽい照明の下で、シャッターチャンスを逃がさずにきちんと写しているところは、さすがにプロですね。
会場の最後尾にあるボックス席からの撮影だから、歌舞伎の花道から撮るような迫力はありませんが、かえってそれが品位の高い映像になりました。
こういう特定の会員向けの写真集は、ただ写真を並べただけの記念アルバムになりがちです。
余白や余黒を多用したバランスのよい構成は、アート感覚のある写真家ならではの発想でしょう。立派な作品集です。
印刷屋とは刷り上りでひと悶着あったそうです。刷り直す前はこれよりかなり濃い印刷だったというから、不満足だったでしょうね。
印刷屋は自分のミスを認めず、初刷りの分まで請求してきたとか。結局、狂言の会の役員達が自腹を切るハメになりました。印刷屋の重役がいくらメンバーだったとはいえ、組んだ相手が悪かったようです。
流行りのブライダル写真集とはひと味違う、アート感覚の写真集でしたが、モノクロームの世界はやっぱりいいですね。
2008/11/01(土)インスタント写真の将来
撮ったその場でプリントが手に入るという魅力は、廃れることはないかもしれません。でも、世の中はデジタル写真全盛の時代です。
写真を撮ったらプリントするのは銀塩時代の習慣です。デジタル時代の写真は必ずプリントするとは限りません。パソコン画面やテレビで見るだけで済ますひとは大勢います。
ある意味で、リバーサル(スライド)フィルムと似ています。アメリカでは、普通の家庭にも映写スクリーンがあって、ホームパーティーでスライド上映して皆で楽しむ風習が残っています。
スクリーンが大型パネルテレビに替わっただけで、写真の楽しみ方に大きな変化はない…といえなくもありません。
日本では、「こたつでアルバム」が昔からの習慣です。プリントでないと写真の実感が湧かない世代は多いと思いますが…
「こたつでテレビ」も庶民の習慣だから、意外と抵抗がないかもしれませんね。
プリントにしなくてもよいのなら、画像データを転送すれば写真を渡したのと同じことになります。
ケータイなら撮ったその場で瞬時に画像を転送することができます。日本全国はおろか、世界中に送ることも可能な時代です。メール感覚で画像のやのとりができるというのは、便利ですね。
こうしてみると、インスタント写真の需要は、徐々に少なくなっていくと考えるのが自然です。撮ったその場でプリントが必要なケースは限られますからね。
どうやらインスタント写真の将来は、あまり明るくはなさそうです。