2025/09/01(月)ジャンボ系ニンニクの植え時は?

 8月も終わりというときに暑中見舞いのメールが届ききました。最高気温が 40℃だなんて尋常じゃないですね。今日から9月なのにまだ猛暑日が続きそうです。

 家庭菜園の作物(といっても大半がジャンボ系ニンニク)をいつ植えるか、判断に迷います。あまり早いと暑さでダメージを受けるし、植え時を逃して遅すぎると収穫に影響します。例年は9月下旬(お彼岸を過ぎたあたり)ですが、今年はどうしますか。

 残暑が続くぶん夏が延びて秋が短くなる傾向です。気温が下がってから土づくりをしていたのでは間に合わなくなりそうです。そろそろ準備しないといけません。(でも暑い!)

 来週あたりから始めますか。植える場所は家の東側なので夕方近くになると日陰になります。気温は高いけど直射日光が当たる午前中よりは作業は楽です。まずは苦土石灰を撒いて……

 屋根付きのベランダに干しっぱなしのジャンボ系ニンニクの鱗茎は、どれを植えるかまだ選別してません。傷のない大きな鱗片を除けた残りが食用分です。暑いから室内でやりますか。

 春と秋が短くなって苗や種球の植え時が難しくなってきました。パッションフルーツの定植は八重桜が咲いてから……なんて言ってたら出遅れてしまいます。ゴーヤも5月の連休過ぎでいいなんてのんびり構えているとすぐに夏の気候です。

 早めに育てて、本格的な夏になる前にある程度収穫できるようにしないと、猛暑で株がダメになってしまいます。万願寺唐辛子は2回ほど収穫できましたが、その後は小さいうちに赤くなってしまい、シシトウ並みのサイズで収量も少なめです。

 何年か温室で冬越しさせたペピーノの大株は、差し穂で増やした苗もろとも暑さで枯れてしまいました。暑さに弱いとは聞いてたけど、気づいたときは手遅れでした。

 鉢植えのバジルは日の当たる場所に出した途端にしおれてしまいました。慌てて半日陰の所に戻したら復活です。来年の夏は斜光ネットを張って日差しを和らげる場所を作ろうか思案中です。

2025/08/18(月)ゴーヤは今年も不作で終わるか?

 毎年ゴーヤを育てています。元々はグリーンカーテンにするために植えたのですが、「超人」先生が「採れたらくれ」というので場所を変えて継続しています。大好きなんだとか。

 品種を変えて、青ゴーヤを2株、白ゴーヤを1株植えています。白ゴーヤは品種自体が弱いのか、青に押されて育ちが悪く、たくさんは採れません。先生は青が好きだから、白はもっぱら自家用です。

 去年は猛暑のせいか白と青1株の育ちが悪くて、7月下旬には収穫を断念しました。残る青1株だけでは大した数は採れません。しかも小さいうちに次々と黄色くなってしまいます。

 今年も似たような状態です。一昨年はバカ採れで持って行く先がないくらいでした。ゴーヤの佃煮を2回も作った記憶があります。一体どうしたんでしょうね。

 ゴーヤはウリ科の植物ですが、連作障害は少ないと言われています。でも同じ場所で毎年作っていると多少の障害はありそうです。土を入れ替えるか、土づくりの方法を変えるかしたほうがいいかも。

 もう一つ考えられるのは猛暑です。35℃を超え 40℃近い高温が続くと、暑さに強い南国の植物でもダメージを受けます。沖縄や奄美は周りが海だから猛暑日が続くことは稀です。こちらの気候のほうが厳しいかもしれません。(とにかく花が咲かない)

 しかも今年は梅雨が短く日照りが続きました。ゴーヤは地植えですが、晴天が続くと頻繁に水遣りが必要です。実がくびれて変形しているのは、たぶん水不足が原因かと思われます。

 「超人」先生のところにはまだ2回しか届けていません。しかも実が小さいです。まだ小さいからと収穫をためらっているうちに黄色くなってしまいます。黄色いのは自家消費に回しますが、ゴーヤチャンプルーはどれが黄身やらゴーヤやら、といった状態。(卵が少しで済みそう)

 来年はどうするか、今から考えといたほうがよさそうですね。

2025/08/15(金)8/15 は終戦の日? 敗戦の日?

 毎年8月になると、6日の「広島の日」、9日の「長崎の日」に続いて15日が「終戦の日」として行事が行われます。広島・長崎は自治体ですが、15日の全国戦没者追悼式は政府主催です。

 終戦という表現はおかしいという意見もあります。15日以降も各地で戦闘が続いていて、戦争が終結したのは戦艦ミズーリで降伏文書に調印された9月2日が正しいとの見方です。

 戦勝国や解放された国の多くでは9月2日か3日に記念行事が行われているようです。8月15日は天皇が国民に敗戦を告げた日で、「敗戦の日」とするのがふさわしいとの意見もあります。

 「朕思うに」から始まり「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」という有名なフレーズのいわゆる玉音放送です。80年もすると、当時のことを記憶している人も少なくなり、実際とは違う言説がはびこる可能性が出てきました。

 けだし、テレビじゃなくラジオの音声だけで伝えたのは天皇は現人神で国民の前に姿を見せないから……なんて誤情報がまことしやかに語られるかもしれません。(当時、テレビはないの)

 そば屋のテレビで力道山を観た……という世代が段々いなくなる時代です。「戦争を知らない子供たち」は「戦争を知らない年寄たち」に変わりました。(杉田二郎はまだ元気?)

 そういえば、町内会や隣組は大政翼賛会の末端として国民を組織・監視するために作られた仕組みです。戦後いったん解散させられたのをサンフランシスコ講和条約の締結後に復活されました。

 行政が利用するのに都合がいいからでしょうね。法的には任意団体で、「藤井聡太を励ます ヘボ将棋の会」と同じ扱いです。ヘボ将棋の会に所属しなくても応援するのは各自の自由です。

 同様に、町内会を辞めても実生活に悪影響はないですね。各団体への寄付金の要請や鬱陶しい回覧板が回ってこなくなったぶん、気分的に楽になりました。

 家の前にゴミステーションができても今までどおり分別整理や掃除をするだけです。今度は「掃除当番」なるものは撤廃です。形だけの当番制は「やってる感」や共同幻想に過ぎません。

 終戦の日か敗戦の日か……いずれにせよ、戦争に勝者はいないことを肝に銘じる日……このことだけは忘れないようにしないといけません。
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