2012/07/10(火)写真展と政治性
作品のテーマが、いわゆる従軍慰安婦だったのが事の発端です。ニコンが会場を提供することに、抗議の声が寄せられました。この種のテーマではよくあることです。
一旦貸すと決めたものを撤回するからには、それなりの理由が要ります。事前に作品を見た上で会場を貸すと決めたはずなのに、「諸般の事情により・・」と一方的に解約したのは、お粗末な対応でした。
訴えられた後で、裁判所には「写真展は政治活動の一環」と主張したそうですが、結局それも認められませんでした。ミソつけましたね。
いわゆる従軍慰安婦の問題は、何が事実だったかも含めて、ここで賛否を論じるつもりはありません。今回の「事件」は、どちらの見方が正しいかの問題ではないからです。写真展のテーマが全く逆の内容であっても同じことです。
一旦貸すと決めたものを正当な理由の開示もなく、一方的に解約したことが争点であって、裁判所が裁決したのもこの点でした。作品の内容に対する賛否や批評の前に、表現の自由が担保されているか?という問題でもあります。
今回の騒動で、誰が得をしたのかはわかりません。お婆さんの顔を並べただけの写真展が大入りだったとか、慰安婦問題に批判的な勢力の主張がマス媒体を通じて全国に流れたとか、いろんな見方があるようです。
ただひとつ言えることは、ニコンサロンの写真展に対する姿勢に疑問が残ったことです。ニコンが損をしたことだけは、間違いないでしょう。
2012/07/09(月)デジタル家電とカメラ
この傾向はパソコンですでに経験済みでした。部品を集めてきて組み立てれば、個人でも簡単に作れます。いわゆる自作機です。それを企業規模でやったのが、台湾などアジア圏のベンダーでした。
米 PC 界の巨人 IBM もパソコン部門を海外企業に売却しました。価格競争の中で付加価値が取れなくなったからでしょう。早い話が撤退です。いまこのブログは、その IBM を買収した企業の激安ノートで書いています。
パネル型テレビも同じ運命をたどりました。部品を集めて組み立てるだけの商品です。製造コストの安い韓国勢に市場を奪われ、家電各社は赤字に転落しました。
いくつもの前例がありながら、なぜ回避できなかったのでしょう。テレビが家電の顔だという呪縛から、逃れられなかったのかもしれませんね。背に腹はかえられないところまで行かないと、意識は変えられなかったということですか。
デジカメは、発売されてしばらくすると、売価が大幅に落ちるのを繰り返しています。もちろんフィルム時代でもその傾向はありましたが、変動の幅も速度も緩やかでした。半年経つか経たないかのうちに、半額以下になるなんてことはありませんでした。こんなことを繰り返していて大丈夫かと、他人事ながら心配になります。
そういえば以前、顔見知りのオリンパスの人が言ってました。「我々が売っているのはカメラじゃない。生鮮食品だ」・・・生鮮食品じゃ、しょうがないかもしれませんね。
2012/07/08(日)家電品になったコンデジ
「酸化セリウム」の先生にその話をすると、「いまやカメラと言っても家電製品だからなぁ」との感想が返ってきます。きっと先生もずーっと考えてるんですね。
フィルム時代のほうが個性的で面白いカメラがあったように思います。一眼レフもコンパクトカメラも 135 フルサイズが主流でしたが、決められたフォーマットサイズの中で、いろんなアイデアを競っていました。
同じカメラでも詰めるフィルムの種類によって写りが変わります。そういう多様性は、デジタルになって希薄になりました。ベルビアモードやアスティアモードがあるとかいうのとは、ちょっと違います。
いちばん残念なのは、フォーマットサイズが 135 フルサイズの呪縛から解き放たれたのに、判で押したように同じ機能・性能のカメラが乱立していることです。設計の自由よりも、コストダウンに利用されてしまったみたいです。
フィルムの APS(IX240)が導入されたときに、各社から発表されたコンパクトタイプの普及機が、同じ型の使い回しだったのを思い出しました。富士もニコンも同じ筐体で名前を変えただけの機種がありました。大手下請けメーカーの OEM でしょう。消費者を甘く見たやり方です。
そんな中で、キヤノンは独自のコンセプトを打ち出しました。後に「APS はキヤノンのひとり勝ち」と言われた IXY です。フィルムカートリッジの関係で厚みはありましたが、小さな筐体は現在のコンデジの原型となりました。
コンデジの売り場を見渡しても似たり寄ったりの機種が並んでいるだけで、IXY を超えるような特徴のある製品は見当たりません。強いて言えば、売り場は違うけどスマートフォンですか・・・