2008/10/07(火)家紋の由来は?

 日常生活ではほとんど無縁の家紋ですが、冠婚葬祭となると一躍脚光を浴びます。自分の家の家紋がわからなくて、戸惑うひともいるでしょう。

 家紋の歴史は古く、平安時代に遡ります。貴族の持ち物に識別マークとして用いられたのが始まりと言われています。
 その後、台頭してきた武士も貴族に倣って家紋を使うようになります。武士は戦(いくさ)が職業みたいなものだから、敵味方を見分ける旗印として利用しました。

 庶民の間で家紋が流行するのは、元禄時代からだそうです。役者や遊女から始まり、町民の間に広まっていきました。
 貴族や武士階級が権威の象徴として家紋を利用したのとは違い、庶民の家紋はファッションでした。粋なデザインを勝手に作って楽しんでいたようです。
 家紋というより紋様ですね。馴染みの遊女と同じ紋様を染め抜いた、揃いの襦袢を着るのが流行りだったとか・・・

 明治時代になって、一般庶民に苗字が許されると、家紋もフリーになりました。その土地の藩主や家臣の家紋を流用して、自分の家の家紋にしたひとが多かったようです。
 武家の家紋が庶民の間に広まったのは、封建時代が終わってからでした。

 いまの当主で何代目・・という旧家でもない限り、家紋の持つ権威としての意味合いはありません。冠婚葬祭になって、慌てて家紋を調べるような一般庶民にとっては、もともと家紋は疎遠なものです。
 遺影写真の家紋をわざわざ画像修整する必要はなさそうですね。

2008/10/06(月)紋付の家紋を合成

 結婚式の写真のブログサイトで葬儀写真とは! と思われるかもしれませんが、冠婚葬祭は現世につきものです。共通する話題もいくつかあります。

 祭壇用の写真の元原稿が、結婚式の集合写真だったということは、よくあることです。昔の結婚式は、男は紋付袴だったから、祭壇用にはピッタリです。
 女性の場合は、黒留袖が多いので、これまたピッタリです。柄があるのは裾周りだけです。花嫁さんだけは、そのままというわけにはいきませんが・・・

 紋付や留袖には家紋があります。五つ紋が最も格式の高い正装とされています。三つ紋は前二つがありません。祭壇用の写真には家紋が二つしか見えていませんが、五つ紋である証しです。
 自分の持ち物であれば、当家の家紋と一致しますが、貸衣装だったら違う紋ということになります。偶然一致することは稀です。

 結婚式のときには、あまり気にせず貸衣装で済ませたのに、葬式となると家紋のことを意識するひとがいます。仕方がないので、家紋だけすげ替えて遺影写真を作ることになります。
 葬儀写真を手がけている業者のなかには、日本中の家紋のパターンを用意しているところがあります。

 昔は、家紋の異なる紋付と留袖の「首なし写真」を一通り用意しておいて、当人の顔首と合成する装置がありました。記憶では、数十万円したと思います。発売当初は百万円を越えていたかもしれません。
 いまならコンピュータの画像処理で簡単に合成できます。

2008/10/05(日)葬儀用の合成写真

 葬式の祭壇に飾る遺影写真は、デジタル時代になる少し前から、回線を使って全国と修整画像をやりとりする業者が市場を握りました。しかし、それ以前は長い間、地元の写真店が請け負っていました。

 葬儀屋から持ち込まれた写真を複写して、四つ切のプリントにします。エアブラシで背景を消してから額装すれば、遺影写真になります。
 仕事が丁寧なところは、もう一度複写してからプリントしていました。あとで焼増しの注文があっても、すぐに対応できます。

 エアブラシを使わないところもありました。大抵は写真館です。
 一旦四つ切程度に引伸ばした写真を切り抜いて、背景のない亡くなったひとだけの元原稿を作ります。ライティングした背景の前に、切り抜いた人物の原稿を置き、撮影します。
 実体の人間ではなく、写真を人物に見立てて撮影するわけです。輪郭を馴染ませるために、切り抜いた写真の切り口を黒く塗るのがミソとか。職人芸ですね。

 亡くなったその日にお通夜という場合もあるから、かなり忙しい仕事です。複写-現像-プリント-切抜-撮影-現像-プリントと、いくつもの工程を数時間のうちにこなさなければなりません。
 預かった元の写真が、結婚式の集合写真だったら、相当な手間がかかります。顔が小さいうえに、大抵は絹目の印画紙なので顔に格子状の影が出ます。重なった隣のひとも消さないといけないし・・・
 アナログ時代の葬儀写真は、かなりの技術が必要でした。

 デジタル時代になって、背景消しや修整は楽になりました。そのかわり、地元の写真店は葬儀写真の仕事を失います。「ブラシ屋」という職業は、姿を消してしまいました。
OK キャンセル 確認 その他