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2012年04月10日の記事

2012/04/10(火)カメラ事業撤退の背景

 一眼レフの AF 化に出遅れた CONTAX は、2000 年になってようやく N1 の発売にこぎつけます。カールツァイスとの調整に手間取ったからだと言われています。
 CONTAX N システムの誤算が、京セラのカメラ事業撤退につながった、という見方があります。実際にはそれだけではなかったように思います。

 オートフォーカスを実現するためにレンズ設計を変更することは、レンズメーカーとしては、できれば避けたいのが本音です。ドライバー駆動でフォーカスリングを回転させるだけでも、ツァイス側は難色を示したという話を耳にしました。レンズの強度が保てないのが、その理由だったと聞いています。
 結果的に、N システムのレンズはモーター内蔵になりました。ツァイスの基準で作ると太くて大きなレンズになります。しかもバリオゾナー(ズームレンズ)が中心のラインナップです。従来のコンタックスユーザーには不評でした。

 百戦錬磨の京セラですら堅物のツァイスとの交渉は、苦難の連続だったようです。思ったほど拡販できなかったコンタックス部門は、次第に重荷になっていったと推察されます。
 そこへコンパクトデジカメの過当競争が追い討ちを掛けます。Kyocera のブランド力が低かったのも足を引っ張る要因のひとつでした。

 自社ブランドのデジカメは、売れずに在庫の山です。一方、他社向けの OEM 製品は、工場をフル稼働させても生産が追いつかない状態でした。カメラ事業からの撤退は、自社ブランド Kyocera での販売を打ち切り、お荷物の CONTAX ブランドを放棄するという決断です。電子モジュールの生産から手を引いたわけではありませんでした。

 ここへきて、再び京セラがデジカメ市場の表舞台に復帰するとの噂があるようです。もう少し我慢していたら道が開けたのでは・・との悔いが残っているのかもしれませんね。
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