2012/04/12(木)ソニーとツァイスの関係

 初めて使った一眼レフは、ミノルタ SR-1 です。中学生のとき修学旅行に持って行った記憶があります。もちろんマニュアル機で、露出計すら内蔵されていませんでした。軍艦部には CHIYODA KOGAKU の刻印が・・・

 それから、PENTAX SP、Nikon F2 を経て、CONTAX 137MA からツァイスレンズを常用するようになりました。ズームレンズは、マウント交換式のタムロンがあるだけです。バリオゾナーは1本も買いませんでした。ツァイスレンズの妙味は単焦点だ、という想いがあったからです。

 そのうち一眼レフもオートフォーカスの時代になり、動きのある被写体用にミノルタαシステムを追加しました。作品志向はコンタックスと中判カメラに単焦点、一般撮影はミノルタαにズームレンズ、という使い分けです。
 途中で CONTAX G2 が加わりましたが、レンジファインダー型は望遠系に弱かったので、αの代りにはなりませんでした。

 そして、2005 年に京セラがカメラ事業からの撤退を発表。翌 2006 年には、コニカミノルタも撤退し、αシステムをソニーに売却します。
 付き合いで買ったα7デジタルを最後に、私のカメラ遍歴は幕を閉じました。それ以降、欲しいと思うカメラが出なかったのと、プロ用デジタルバックは買える値段ではなかったからです。

 ソニーになってから発売された A マウントのツァイスレンズは、特に欲しいとは思いませんでした。強いて言えば 25mm F2 くらいです。もともとバリオゾナーは購入の対象外です。A マウントに統一するには、単焦点レンズが少なすぎます。
 ビデオ用レンズでつながりがあったにせよ、ソニーはなんでカールツァイスと A マウントで提携したんでしょうね。ミノルタから引継いだ G レンズと競合します。京セラが CONTAX 事業から撤退したことで、ツァイス側がかなり焦っていたのはわかりますが・・・

2012/04/11(水)CONTAXブランドの復活は?

 京セラがカメラ事業から撤退して、CONTAX ブランドは一旦姿を消す形となりました。CONTAX はカールツァイス財団が持つカメラのブランドです。レンズはもちろんツァイスです。

 レンズの生産を請け負う日本のコシナが、カールツァイスのカメラブランドを使っています。Zeiss Ikon(ツァイス・イコン)です。なぜか CONTAX ではありません。
 Zeiss Ikon は、カメラブランドというよりは、いろんなブランドを抱えるメーカー名です。Zeiss Ikon が作ったレンジファインダー機が Contax でした。今回そうしなかったのは、マウント規格がライカ M 互換の ZM マウントだからでしょうか?(なにか怪しい)

 カールツァイスにしても京セラにしても、CONTAX 事業には特別な思い入れがあったと推察します。645 と N シリーズの規格やシステムには、かなりの開発費を投入したはずです。自信をもって世に送り出したのに、回収することなく頓挫してしまいました。
 もう一度、ほかとのコラボで、別の規格を採用して復活させるのは、ツァイスにとっては重荷です。京セラにしても、コストをかけて開発してきたのに、未回収のまま放棄するのは辛い話です。

 今年は2年に一度のフォトキナが開催される年です。ヨーロッパ勢の動きから目が離せない状況が、ここしばらく続きそうです。とくにマークしたいのは、ツァイス、ライカ、ハッセルの御三家です。
 いずれのメーカーも日本企業とのコラボでは実績があります。ツァイスはソニーとコシナ、ライカはパナソニック、ハッセルは富士フイルム。水面下では、さらに複雑な関係が絡んでいます。

 CONTAX ブランドの安易な復活はないと思います。それだけカールツァイスの CONTAX ブランドに対する拘りが強いと推察するからです。ヤシカも京セラも、カールツァイスとの考え方の違いには手を焼いたみたいです。でも、いちばん往生したのは、文化の違う日本企業と組んだツァイスのほうだったのでは?

2012/04/10(火)カメラ事業撤退の背景

 一眼レフの AF 化に出遅れた CONTAX は、2000 年になってようやく N1 の発売にこぎつけます。カールツァイスとの調整に手間取ったからだと言われています。
 CONTAX N システムの誤算が、京セラのカメラ事業撤退につながった、という見方があります。実際にはそれだけではなかったように思います。

 オートフォーカスを実現するためにレンズ設計を変更することは、レンズメーカーとしては、できれば避けたいのが本音です。ドライバー駆動でフォーカスリングを回転させるだけでも、ツァイス側は難色を示したという話を耳にしました。レンズの強度が保てないのが、その理由だったと聞いています。
 結果的に、N システムのレンズはモーター内蔵になりました。ツァイスの基準で作ると太くて大きなレンズになります。しかもバリオゾナー(ズームレンズ)が中心のラインナップです。従来のコンタックスユーザーには不評でした。

 百戦錬磨の京セラですら堅物のツァイスとの交渉は、苦難の連続だったようです。思ったほど拡販できなかったコンタックス部門は、次第に重荷になっていったと推察されます。
 そこへコンパクトデジカメの過当競争が追い討ちを掛けます。Kyocera のブランド力が低かったのも足を引っ張る要因のひとつでした。

 自社ブランドのデジカメは、売れずに在庫の山です。一方、他社向けの OEM 製品は、工場をフル稼働させても生産が追いつかない状態でした。カメラ事業からの撤退は、自社ブランド Kyocera での販売を打ち切り、お荷物の CONTAX ブランドを放棄するという決断です。電子モジュールの生産から手を引いたわけではありませんでした。

 ここへきて、再び京セラがデジカメ市場の表舞台に復帰するとの噂があるようです。もう少し我慢していたら道が開けたのでは・・との悔いが残っているのかもしれませんね。
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