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2012年11月29日の記事

2012/11/29(木)ニコンFは世界最高峰の一眼レフだった

 本棚の片隅にニッコールレンズ読本・第3集と並んで、写真工業 '71 5月臨時増刊の「ニコンのシステムとメカニズム」という本があります。「最新版」となっていますが、もちろん当時としては・・の話です。
 A5 版 208 ページ立てすべてが、ニコン F とニコマートのメカニズムとシステムの解説に充てられています。それだけの価値があるカメラでした。

 多分、写真専門学校に入ったとき、「これ使ってくれ」と先輩が貸してくれたニコン F のために買ったんだと思います。貸してくれたのは露出計のないアイレベルのシルバーモデルでした。
 すでに TTL 露出計を内蔵したフォトミック FT N ファインダーが発売されていましたが、頭でっかちの無骨なカメラでした。ニコン F は、やはり露出計のない三角頭のプリズムファインダーが、デザイン的に洗練されていたと思います。

 冒頭、堀邦彦氏解説の「ニコン誕生」では、「『ニコン F』このカメラの名は日本国内よりも、むしろ外国のほうでよく知られているようである」との記述で始まります。続けて、「アメリカやヨーロッパを旅行して、ニコンの名高いのにおどろかされ、あらためて持つ誇りを感じたと述べるユーザーは少なくない」と述べています。
 外国人から、「あなたは日本人なのになぜ SEIKO の時計をしない」と言われて、初めて日本製品の良さを認識したという話に似ています。ニコン S シリーズにはライカという先駆者がありましたが、一眼レフは日本のメーカーが世界に先行していました。

 高校時代には PENTAX SP がベストセラーで、親に無理を言って買ってもらいました。当時の社会人が憧れていた耐久消費財の筆頭です。ただ、先輩のニコン F と比べると、ブリキ細工みたいに感じたのを覚えています。
 旭光学のサービスセンターで受付の姐ちゃんと揉めていたら、奥から偉そうな課長とやらが出てきて、「ウチの SP はあんたらのような学生が持つカメラじゃない」と言われたのには、カチンときましたね。思わず「こんなのただのブリキ細工じゃないか」と、放言してしまいました。(大人げない)
 心の中で、いつかはニコンにするぞ!と誓ったものです。
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