2009/11/27(金)古いパソコンの使い道

 マザボがP2B-FだのCPUがペン2だの、古いスペックのパソコンをいまだに使っているのは、カメラと同様、いかにも旧タイプ人間ですね。OSが98SEのままだなんて、あまり大きい声では言えない状態です。

 パソコンは、使用用途によって専用化するのがモットーだから、古いスペックのものでも動いているうちは使い道があります。文書を書くなどの軽い仕事は、旧型で十分だし、プリントサーバーとして使えば、ほかのマシンの効率が上がります。
 流行を追って、ネットブックに数万円の投資をするよりも、いまあるものを有効に使ったほうが得策だと思います。

 ずいぶん前に、和歌山のノーリツ鋼機におじゃましたときは、NECのキューハチがまだ現役で動いていました。実店舗でプリントテストするセクションだから、本社工場内ではありませんが、濃度計かなにかとつながっていた記憶があります。
 一部上場の大会社なのに、ずいぶん質素ですね。担当の技術者が倹約タイプだったのか、もともと会社の体質なのか、いずれにしても感心しました。

 社員の顔写真入りの名刺は、このセクションで作っていて、1日に最低何人分を処理するか書いた紙が、プリンターに貼り付けてありました。テスト分だけでは安定した液管理ができないからでしょう。
 ムダを省いて、あるものを有効利用する考え方に共感しました。

 今回のパソコントラブルで、使っていないSCSIのMOドライブや、キューハチゆかりの5インチFDDなど、余分な周辺パーツを外しました。
 電源部の容量が小さくなったことと、トラブルの原因要素を減らすために、ムダを削ぎ落としたわけです。いまではまず使うことはないパーツです。

 あと何年動くかわかりませんが、使い道があるうちは、旧タイプでも有効利用しないと・・・

2009/11/26(木)ついに壊れた自作マシン

 少し前に、自分で組み立てたDOS/Vマシンがハングしました。10年ほど前に初めて作ったパソコンです。それにしても、10年間もよく動きましたね。
 もっともその間、故障なしで動いていたわけではありません。3モードのフロッピーディスクドライブは初期不良でいきなり交換だったし、電源部はお陀仏になって途中で入れ替えしています。

 CPUは、途中で換装したPentiumⅡの800MHzで、拡張メモリは512MBしか積んでありません。文書を書いたり、メールをしたりするくらいなら使えますが、画像を扱う作業には力不足です。もっぱらプリンターサーバーとして使っていました。

 故障の原因は、よくわかりません。電源が断続的に入り切りして OSが立ち上がらない症状です。どのパーツが不調なのか不明なので、最小構成にして立ち上げ直しました。一応、スンナリ動きます。

 SCSI接続のMOドライブや、5インチのFDDドライブなど、いまでは使わない周辺機器が内蔵されていて、多分どれかが原因だろうと踏んだわけです。
 とりあえず動いてヤレヤレでしたが、数日経ったらいきなりハングしました。原因は他にありそうです。

 ダマシ騙し電源を入れても、BIOS画面が出たところでプッツンです。何となくマザーボードが原因のような・・・ 電解コンデンサーの寿命かな?
 ほとんど使っていないデスクトップのマザーボードが、同じASUSのP2B-Fだったので、入れ替えることにしました。無事換装して、最小構成で立ち上げてみたら、今度はウンともスンとも動きません。

 どうやら原因は電源部みたいです。電源部を入れ替えたら正常に起動しました。いまさらマザボを元に戻すのも面倒なので、そのまま使うことにしました。
 前のマザボがまともだったかどうかはわかりませんが、使うことはもうないだろうから、細かいことはこの際パスです。

 以前このブログでも「電源部は大事なパーツ」と書いたけど、長期間安定した動作を期待するのなら、やはり電源部はきちんとしたものを使わないといけませんね。

2009/11/25(水)デジカメの販売窓口

 写真のデジタル化で、カメラを作るメーカーの顔ぶれだけでなく、販売窓口も変わりました。いわゆるカメラ専門店から家電量販店へと、大きくシフトします。

 デジタル化になる前から、既にヨドバシやビックのような「カメラ系家電量販店」といわれる大手が主導権を握っていました。そこへヤマダやコジマなど家電量販店が参入します。
 DPに依存していたカメラ店は、一気にその存在感を失いました。銀塩依存の体質を引きずっていたのと、「デジタル」に弱かったのがユーザー離れを加速させた要因です。

 返品自由の商習慣もカメラ店が時代の流れに取り残される一因でした。銀塩全盛時代のカメラは息が長かったこともあり、メーカー・商社は返品交換に寛容でした。新製品が出たときは店頭在庫を入れ替えてもらえる・・という意識が強かったようです。
 販売価格が下落したら、差額を補填してもらうのが当然という考え方も蔓延していました。発売後2~3ヵ月で値崩れし、半年も経ったら次の機種が出てくるデジタルカメラは、写真業界の商習慣には馴染まないものでした。

 メーカーとしては、大手量販店に販売シェアが集中するのは、あまりありがたいことではありません。拡販費や対策費のほかに販促員の派遣など、莫大な経費が掛かります。主導権を小売サイドに握られるのは、採算性の悪化につながります。
 中小のカメラ店に健闘してほしいという気はあっても、差額補填と返品自由の商習慣が、小口販売店からの離反を加速させました。街のカメラ店は、デジタルカメラの販売窓口から脱落していきます。

 いまやデジカメを製造しているのは大半が家電メーカーです。キヤノンは自称「電機メーカー」に変わりました。(株式欄もそうです)
 いまでも店頭にカメラを並べているカメラ店の未来は、茨の道ですね。
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