2008/11/19(水)晴れの日の衣裳
雨の日はレインコートだが晴れの日は・・なんてチャカしてはいけません。その国や地方、ひいては民族の文化の問題でもあります。
母方のお爺さんは書道の大家で、その昔、表彰されて皇居へ招かれたことがあるそうです。貧乏な家で、着ていく服がなくて辞退したとか・・・
汽車賃もなかったそうで、行きたくても行けない・・というか、戦前に皇居へ召されるということ自体が恐れ多かったんだと思います。清貧を貫いた書道家でした。
ヨーロッパの逸話で、こんな話もありました。
お城の晩餐会に呼ばれた貧乏学者が、門前払いを喰らいました。着ている服がみすぼらしかったからです。仕方がないので知人に服を借りて行くと、今度はすんなり入れてくれました。
晩餐会の席で、その学者が着ている服の袖に料理を入れていると、周りのひとが不審に思って理由を尋ねました。学者いわく、「この料理を食べられるのはこの服のおかげだから服にも食べさせてあげないと」・・ 目いっぱいの皮肉ですね。
国を問わず、昔から庶民にとって晴れの日の衣裳というのは、日常生活とは疎遠のもののようです。
少数民族が結婚式に着る民族衣装は、西洋文化に染まった目で見れば粗末なものかもしれません。でも、当事者にとっては長い時間と手間をかけて作った大切なものです。何よりも当人の想いと民族の文化が詰まっています。貨幣価値で量ることはできません。
写真は現実の現象を記録するものです。現象の複写といってもいいかもしれません。豪華な衣裳も質素な衣裳も、ありのままそのように写ります。
できることなら、それを着ている中身の人間の心も写せるといいですね。