2008/11/05(水)富士山の写真
アマチュア写真家の指導には熱心でしたが、富士山の写真は批評の対象にしないという固い意思がありました。
なぜ見ないのかを直接聞いたことがあります。「富士山の写真は雲の変化を捉えただけだ。題名を『雲』にしたほうがマシだ!」との返事。なるほどね。
確かにアマチュアが捉えた富士山の写真には、そういうのが多い気もします。
でも、北斎や広重の浮世絵に描かれている富士山は、駄作ではなくてアートだと思いますが、写真での表現はできないということでしょうか?
浮世絵の富士山を見ていて、感じたことがあります。
富士山を撮るには、正面からガップリ取り組むか、うーんと遠くに離してアクセントで扱うかのどちらかではないか?ということです。
富士山は日本人なら誰でも脳裏に焼きついている山です。大女優と一緒で、被写体そのものが主役になります。誰が撮ったかは二の次で、自己表現の対象としては難しい被写体です。
被写体に負けないだけの観察力と表現力が求められます。
富士山は、画面の隅にチラリと写っているだけでも、強いインパクトがあります。強烈なスパイスみたいなもんですね。小さく扱うことで、スパイスの効き具合を調節するのもテクニックのひとつです。
安藤広重の東海道五十三次には、このやりかたで描かれた場面がたくさん登場します。葛飾北斎も荒海の向こうに小さく富士山を配して、うまくスパイスを効かせています。
このテクニックは結婚式の写真でも使えそうです。
花嫁のアップもいいけど、たまには小さく扱って、スパイスが旨味に効いた写真を撮りたいですね。