2008/10/10(金)家紋が語る歴史

 愛知・岐阜・三重の東海3県を分ける木曾三川に、治水神社という社があります。そこに飾られている幔幕や堤燈には、丸に十字の家紋が描かれています。
 丸に十字は「轡(くつわ)」とも言われ、薩摩藩の家紋として知られています。

 なぜ東海地方に轡紋を飾る神社があるのかは、この地域のひとならよく知っています。宝暦年間に幕府の命令で、薩摩藩が治水工事を行なったからです。
 難工事で多くの犠牲者を出しました。事故死というより、幕府の嫌がらせに抗議して自決した藩士のほうが多かったとか。総奉行の平田靱負は、藩主重年公に竣工報告書を出したあと、責任をとって自決しました。

 こうした献身的な薩摩藩士の働きに感謝して、いまでもその歴史が語り継がれています。丸に十字の紋章は、時代を越えて多くの人々に、その偉業を思い起こさせるシンボルとなりました。
 轡紋を見ると「篤姫」を思い浮かべるひともいるけどね。

 最近アメリカで、篤姫のものと思われる駕籠が発見されました。明治初期に海外に渡ったようですが、詳しい経緯は不明です。
 駕籠に施された葵の紋様が、篤姫の婚礼調度品と一致したので、間違いないとの鑑定でした。
 やんごとないお姫様には、家紋以外に自分の紋様があるんですね。嫁いでいく身だから、家紋よりもそちらのほうが身近なお印だったと思います。

 自分の紋様を持たない現代の「お姫様」は、ヴィトンやクレージュのマークがその代わりなんでしょうね。
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