2008/05/30(金)写真業界の崩壊
ニコンがサービスセンターだけ残していたり、タムロンが現地駐在員を置いていたりするくらいで、ほとんどが撤退です。
プリンターメーカーのノーリツ鋼機も22号線沿いから移転したみたいです。メンテは、ずいぶん前から自宅待機でしたから、広い事務所はもう必要ないしね。
かつては、名古屋商工会議所ビルの最上階全フロアを占めていた富士フイルムの写真部門が姿を消したのは、時代の流れの象徴のような気がします。
高校時代に駆り出されて参加した学生写真連盟の撮影会で、貸し出しのデモカメラを配っていたのは、富士フィルムのT氏でした。「おじちゃんがいいカメラを貸してあげるからね」といって宣伝していたのは、ナント!その後すぐに製造中止になったラピッドカメラでした。
コダックに対抗して出したカートリッジ式フィルムのカメラです。発売後まもなく製造中止になって回収した、いわくつきのカメラです。(学生だと思ってバカにして!)
フィルムを1本タダで付けてくれるといってましたが、誰も借りませんでしたね。でも、当時の富士フイルムは必死だったと思います。
富士のT氏は珍しく転勤もせず、名古屋現地で定年退職するまで、写真団体の面倒を見ていました。同じ世代の女子社員K嬢は、「影の所長」といわれるくらい古株で、生き字引的存在でした。
昔、大したことではなかったのですが、必要な資料があって、K嬢に頼んだことがあります。「私の力では何ともねぇ」というので、「アナタにできないことは所長に頼んでも無理だからもういいよ」というと、すぐにメールで届きました。さすが「影の所長」です。
そのK嬢が、定年後しばらくしてから事務所を尋ねたら、たまたま古参社員が誰もいなくて、「どちら様ですか?」と聞かれたそうです。FICは、解体された問屋やラボから来た「新米」社員の寄せ集めでしたからね。
その新米社員も誰もいなくなって、K嬢が尋ねる先はなくなってしまいました。寂しい話です。