2008/05/27(火)ニコン神話

 戦後カメラ史でニコンブランドは特別な意味を持っています。

 もともと三菱系の精密工業の会社で、戦前は戦艦などの大砲の測距儀や双眼鏡を作っていました。カメラメーカーとしては無名に近い存在でしたが、朝鮮戦争で使われたニコンSシリーズの写真が、アメリカの報道誌に掲載され、その切れ味と描写力が注目されました。
 モノクロ全盛時代の話です。

 ニコンブランドは、レンズのブランド=ニッコール(Nikkor)が牽引役となって浸透していきます。一時は、現像タンクで有名なナイコールから類似ブランドだとクレームがついたこともあったようです。
 当時は、日本光学(にっぽんこうがく)という社名でした。

 日本は「にほん」か「にっぽん」か・・という論議がされた時代がありました。正式には「にっぽん」だ、ということに落ち着いたようですが、その当時、ニコンに電話して「ニホン光学さんですか?」というと、「いえ!ニッポン光学です!」という返事が返ってきたことを覚えています。
 頭の硬そうな会社です。

 社風も堅いメーカーですが、権威には弱い会社でしたね。
 手元にあるNikon F2は、結納返しで義父から贈られたカメラです。保証書には当時義父が勤めていた〇日新聞社の社名が肩書きに入っていました。修理に持っていくときには、期限切れでもさりげなく一緒に付けて出したものです。
 待遇が一般のひととは全然違いましたね。VIP待遇です。

 こういう話は、例の「酸化セリウム」の先生も言ってましたね。
 若いアシスタントにF3の修理を持たせたら、けんもほろろの扱いだったそうです。プロならではの微妙な調整だったので、そこまで面倒を見れない!といったことだったようです。頭にきて、知り合いの新聞社の部長に電話を入れてもらってから行ったら、平身低頭で対応がまったく違ったそうです。
 「できるんなら最初からちゃんとやれ!」と息巻いてましたね。

 企業は人なり・・というように、生身の人間がやることですから、奢りや間違いはつきものです。〇〇タックスみたいに、ちょっと売れたら「後ろにつっかい棒をしてあげようか」と言いたくなるメーカーに比べれば、ニコンの人たちは堅物ではあるけど真面目で紳士でしたね。
 つっかい棒が必要な彼のメーカーも、吸収合併でブランド名を残すのみです。

 ニコンがんばれ! キ〇○ンには負けないでね。
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