2010/02/21(日)0円の伏線はオイルショック

 一世を風靡した0円プリントが登場する伏線は、オイルショックまで遡ります。当時は、自家処理店は少なく、総合ラボ全盛の時代でした。写真店の大半が「取次店」だったわけです。

 オイルショックでガソリン代が高騰します。総合ラボは、各店を車で回って集配していたから、コストが一気に上昇しました。
 プリント価格を上げればいいわけですが、消費者にも店側にも抵抗感があって、なかなか思うようにはいきません。そこで抵抗感の薄い現像料を値上げしてしのぎました。

 当時から消費者への価格訴求は、「プリント1枚○○円」という表示が定着していました。ガソリンスタンドの価格表示と同じですね。プリント価格の値上げには、強い抵抗感がありました。
 写真店の多くは取次店だったから、利益はマージン制です。プリント価格の表示を変えずに利益が確保できたので、現像料の値上げに応じました。

 それ以降、コストの変動があるたびに、現像料をクッションにする商習慣が定着しました。その後、ミニラボ機の登場で自家処理店が増えていきます。現像料は、自家処理店の大きな利益源となりました。
 500円玉の登場で、それまで400円前後だった現像料は、ワンコインの500円が主流になります。プリント価格の競争が激しくなるなかで、消費者の抵抗感が薄い現像料は、上昇の一途をたどりました。

 そして、とうとう0円プリントが登場します。現像料は650~700円まで上がりました。ゼロ円は景表法上の問題があるという理由で、フィルム1本いくら・・という総額表示にしていた店もありましたが・・・

 高くなりすぎた現像料は、デジカメの登場で写真店からの消費者離れを招きました。デジタルデータを扱う「基本料金」なるものを考案しましたが、消費者の反発を受けて、すぐに姿を消します。
 写真業界に利益をもたらした現像料は、業界崩壊の要因でもあったわけです。
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