2009/08/10(月)ツァイスの検査票

 CONTAX 用のカールツァイス交換レンズには、保証書のほかに品質検査票がついていました。クネクネの読めない文字でサインがしてあるカードです。保証書よりもこれが大切なんだとか・・・

 保証書は特約店から申請があれば、再発行することは可能でした。でも、検査票を再発行するためには、ツァイスの技術者が、もう一度厳密に検査をする必要があり、有料となります。
 日本のユーザーは、この検査票の価値については無頓着でしたが、ヨーロッパでは絶大な信頼があったと言います。ツァイスが品質を保証した以上は、絶対に間違いはない・・ということになっていました。

 この検査票は、「当たり」を意味するのではなく、「外れ」でないことを証明するものです。ツァイスの検査基準は厳しいので、それをクリアしたということは、当たりと変わらないかもしれませんが・・・
 日本の工場で組み立てられたレンズにも、すべて検査票がつけられていました。ツァイスの人間が検査を担当していたそうです。

 そんなありがたい「お札」がついている割に、ツァイスのレンズはゴミが多いことで有名でした。とくに西ドイツ製のレンズには、よくゴミが入っていました。
 日本人の感覚では、ゴミ入りは「不良品」です。本国に戻された製品は再チェックして、そのままヨーロッパ各国へ再出荷されたそうです。もちろんクレームはありません。それだけツァイスに対する信頼が厚かったわけです。

 ゴミが入っていたという理由で、返品されるのをツァイスの人は快く思っていなかったでしょうね。日本人は、神経質で疑り深い人種だと思われたようです。
 それでもとうとう根負けして、ほとんどのレンズの組み立てを日本に移管しました。歩留まりが悪かったバリオゾナーは、日本で組み立てるようになってから、生産数が一気に向上しました。検査はツァイスの人間が担当するから、基準はクリアしています。
 日本人の繊細さと器用さを少しは見直したと思います。

2009/08/09(日)レンズの当たり外れ

 写真用レンズの製造方法が変わって、レンズの当たり外れを問題にすることは少なくなりました。昔のレンズには、均一の性能を維持できない事情がありました。

 ひとつは、光学レンズの製造方法です。「るつぼ」に材料を入れ、熔解したあとに冷ましてから、レンズの基を取り出していました。
 るつぼの中のガラスがすべて使えるわけではなかったようです。上質な光学レンズとして使えるのは、一部だけだったとか・・・

 マグロの解体みたいなもんですね。熔かしたるつぼによって、出来不出来があったといいます。
 均質なガラス材料を安定して取り出せるようになったのは、連続熔解炉が開発されてからになります。ニコンが稲川工場に設置したのが、1994年だから、まだ15年ほど前の話です。

 それまでは、使ったるつぼによってガラスの特性が異なりました。すべてのレンズに同一のマルチコーティングを施しても、均一な品質になるとは限りません。ガラスによってコーティングを変えるのが、本当の技術だというメーカーもいましたね。コンビネーション・コーティングです。
 多分にマルチコーティングで遅れをとった言い訳のようにも聞こえますが、それだけ微妙な世界だったのは間違いなさそうです。

 組み立て技術のレベルによっても写りが変わります。交換レンズの製造工場を海外に持っていけなかったのは、この問題があったようです。
 同じレンズでも何百本か何千本にひとつの割で、飛びぬけた性能のものが生まれたといいます。プロに提供したのは、こうした優等生のレンズでした。その反面、まったくダメなレンズもあったわけです。(そういうのは一般ユーザーの手に・・)

 当時、コムラーの社長は、「コムラーというくらいだから、出来にムラがあるのは当然」と言っていたそうです。当たったら抜群の切れ味だ!と言いたかったみたいですが・・・
 非球面レンズや高屈折率ガラスの登場で、組み立て精度は以前よりもシビアになっています。レンズの当たり外れは、いまでもあるかもしれませんね。

2009/08/08(土)ラッキー・トキナーのレンズ

 現在はケンコーの傘下に入っているトキナーレンズが、東京光器製作所だった時代の話です。一時期、ラッキー・トキナーというダブルネームで販売していたことがあります。確か昭和40年ころだったと思います。

 ラッキーといえば、引伸機で有名な藤本写真工業(当時は藤本写真機製作所)のブランドです。どういういきさつだったのか、詳しいことはわかりません。当時トキナーというのは無名に近かったので、ラッキーのブランドにあやかったのかもしれません。
 レンズメーカーとしては、コムラー(三協光器)、サン(サン光機)、タムロン(当時は泰成光学)がありました。コムラーがダントツのトップメーカーだったようです。

 昭和50年代になると、ズームレンズでタムロンが追い上げ、コムラーは廃業に追い込まれます。サンは五藤光学の傘下に入って建て直しを図りますが、撤退を余儀なくされました。
 あの時代のレンズメーカーで残ったブランドは、タムロンとトキナーだけになります。両社は、よきライバルでした。

 タムロンが SP シリーズでユーザーの支持を得ると、トキナーも AT-X シリーズを投入して対抗しました。低価格競争に走るのではなく、性能を競い合う方向にいったのは、写真愛好家としては歓迎すべき傾向でした。
 レンズメーカーの製品は、「安かろう悪かろう」ではなく、カメラメーカーのレンズよりもコストパフォーマンスに優れている・・という認識を定着させたのは、両社の競争の賜物です。

 何年か前に、カメラ店の展示即売会でトキナーのブースを見かけました。メーカーの人がいたので、「ラッキートキナーさんですね」と声をかけたら、???です。
 しばらくして、そっけなく「そんな時代もあったね」と、中島みゆきみたいなセリフでした。(冗談の通じない人・・)

 昨年から、ラッキー製品の販売はケンコーに移りました。藤本写真工業はケンコーの傘下となりました。もう一度、ラッキー・トキナーのダブルブランドが復活・・・ それはないでしょうね。
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