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2009年05月19日の記事

2009/05/19(火)オリジナル原板の価値

 銀塩写真は、元になる原板が1枚しかないのが普通です。同じカットを複数撮ればコストがかかるし、段階露光すれば露出が変わります。

 かつては頻繁に催された写真家のスライド講演では、写真集などに使った原板は使いませんでした。没にした別の原板を使ってスライド映写をします。
 発表した作品と同じコマを見せる場合は、デュープした複製原板を使いました。作品の元の原板は1枚しかないので、オリジナルを保護するためです。

 写真のデジタル化で、このオリジナル原板の価値感が一変します。
 デジタル画像は、そっくりそのまま複製することができます。コピーとオリジナルの区別がつきにくいから、元データの管理をしっかりしないと、著作権が担保されません。
 一旦流失した画像データは、インターネット上で公開されれば、回収不能となります。ヴァルター ベンヤミンは、「写真は複製時代の芸術」と言いましたが、デジタル化によってその特徴は、さらに顕著になりました。
 「複製」というよりは「クローン」ですね。

 銀塩時代に活躍した写真家の多くは、そろそろ引退の時期に差し掛かります。高齢で亡くなられたかたもおいでになります。
 写真家の多くは孤高のタイプが多いから、自分が握りこんでいる原板は、死後に埋没してしまうことがあります。なかには廃棄されて、この世からなくなってしまうものも少なくありません。
 出版社に預けた原板は残るとしても、その何百倍もの原板が遺失してしまうのは、もったいない話です。

 少し前に、このブログに時々登場する「酸化セリウム」の先生から、原板保護の相談がありました。自分の作品ではなく、すでに亡くなった報道写真家の原板です。
 その写真家が住んでいた家を売却するときに、家財道具と一緒に危うく廃棄されるところだったそうです。残された膨大なフィルムのなかには、著名な政治家や知識人の姿もあったとか・・・

 写真の原板の価値を知らないひとにとっては、ただのゴミにしか見えないのかもしれません。間一髪で廃棄を免れたのはラッキーでした。
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