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2009年05月23日の記事

2009/05/23(土)幕末から明治の写真

 日本の写真史を語るときに、まず登場するのが上野彦馬です。オランダの医師から化学を学び、写真の技術を習得したと言われています。
 蘭学書から知識は得られても、写真の材料は自分の手で作らなくてはなりません。アンモニアを牛の糞尿から抽出するなど、苦労の末に感光材料と写真薬品を自作したと伝えられています。

 上野が第一人者といわれるのは、坂本竜馬や高杉晋作を撮影したことも影響していると思います。長崎で日本初の写真館「上野撮影局」を開設し、歴史に名を残す著名人を数多く撮影しました。
 同じ頃に写真館を始めた下岡蓮杖よりも上野のほうが有名なのは、やはり被写体の知名度と関係がありそうです。

 あまり知られていませんが、日本で最初のアマチュアカメラマンは、徳川家のお殿様だそうです。徳川御三家のひとつ尾張藩の殿様 徳川慶勝です。幕末から明治にかけて、1000点あまりの写真を残しました。
 名古屋城の写真は、当時を知る数少ない資料です。

 今の天守閣は、戦後に建てられたものです。元の建物は太平洋戦争の空襲で焼失しました。戦前に撮られた写真があるから、慶勝の撮った写真がなくても再建する資料はありますが・・・
 ただ、明治維新以降に取り壊された建物がいくつかあります。二の丸御殿などは、慶勝の残した写真がなければ、当時の様子を知ることができません。殿様しか入れない建物内部の写真が残されています。

 お堀の外から撮った名古屋城の全景は、原板4枚をつないだパノラマ写真です。日本初のアマチュア写真家かどうかは別として、パノラマ写真を最初に撮った人物であることは、間違いなさそうです。
 天守閣と櫓をつなぐ塀は、現在はありません。やはり当時を知るうえで貴重な資料です。

 名古屋城の本丸御殿を再建する計画があります。すでに企業や市民から寄付が寄せられていますが、折りしも世界的な不況で、さすがの中部経済も元気がありません。計画を見直すべきかどうか、検討されています。
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