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2009年05月27日の記事

2009/05/27(水)明治の婚礼写真

 長崎大学附属図書館のコレクションには、明治期の婚礼写真も含まれています。
 花嫁一人の写真が多いところを見ると、昔から婚礼は花嫁側の思い入れが強かったのが推察されます。ひょっとすると、実家に残された写真なのかもしれません。

 花嫁衣裳は、どれも黒地のお引きずりに白の角隠しです。五つ紋入りで、柄は膝から裾にかけて入っているだけです。現在の黒留袖を小袖のお引きずりにしたような着物です。明治から昭和にかけて、庶民の間でもっともポピュラーな婚礼衣裳は黒でした。
 袖を詰めて、裾の綿入れを外せば、黒留袖に仕立て直すことができます。当時は、レンタルではなく購入しただろうから、あとで使い回しができるよう配慮したのかもしれません。

 黒の引き振袖は、最近「新和装」として復活しています。もともとは武家の婚礼衣裳だった、とのフレコミです。洋髪のまま着られるので人気があります。
 明治期の婚礼写真に紋入りの黒い着物が多いのは、武家の風習を倣ったからでしょうか? 家紋の使用が解放されるのと同時に、庶民に普及したのかもしれません。写真を見る限り、花嫁衣裳はどれも五つ紋入りの最高礼装でした。

 花婿と一緒に撮った写真が1枚だけ載っていました。花婿は、三つ紋の羽織袴姿です。並びは現在と逆で、花嫁が花婿の右側(向かって左)に座っています。西洋式に変わる前ですね。(まさか養子さんではないと思いますが・・・)
 雛祭りの写真を見ると、お内裏さまが向かって右になっていました。今でも京雛は この並びですが、お雛さまの顔が見えません。撮影者が小川一真(玉潤館=東京麹町)となっているので、関東雛かもしれませんね。

 男女が一緒に写っている写真は少ないのですが、家族写真を見ると、男は左か中央です。ただ、晩年の伊藤博文は右側(向かって左)に座っています。明治政府の要人は、やはり西洋式でした。
 こうしてみると、男女の並び順は一種のこじつけで、時代や文化とともに変遷します。杓子定規に右だ左だというのは、無意味ですね。
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