2011/08/17(水)善意の押売りはトラブルの元

 被災地に冷蔵庫を送ったのは、たまたま使っていないものがあったからです。子供が一家で帰省したときに使うだろうと、寝室の片隅に置いてありました。
 1/4 平米ほどとはいえ狭い家がさらに狭くなるし、盆と正月の年に2回使うだけです。被災地で役に立てばと、支援プロジェクトに登録しておきました。それだけのことです。

 ところで、昨日行なわれた五山の送り火で、高田松原の薪を使うかどうか揉めたことに、いろんな意見が寄せられています。例によって匿名性をいいことに、無責任な発言が目立ちますが、ここへきて冷静に捉える意見が増えました。

 被災地の薪を大文字保存会が受け入れたとのニュースを最初に聞いたときには、「えっ?」と思いました。薪といってもただ燃やす木ではなくて、地元の人は神聖な護摩木として大事に扱ってきました。大文字の場合は、東山如意ケ嶽の赤松を使うのが慣わしのはずです。
 粗相があったり、燃え方が悪かったりすると縁起も悪いそうで、準備に気を遣うと聞きました。

 被災地の鎮魂とはいえ、ほかの地域の薪を使うのは異例のことです。発案者が地元の人ではなく、九州の芸術家というのも引っ掛ります。よそ者の提案でよその薪を使うと聞いて、伝統としきたりに拘る京都人もずいぶん変わったな・・というのが率直な感想でした。

 ところが土壇場になって高田松原の薪を使うのは一転中止となりました。その理由が、放射能を心配する市民の声・・というのは、どうにもいけませんね。風評被害を助長する了見の狭い考えと、一斉に非難を浴びる形となりました。
 京都市が調整に動き、高田松原の薪を改めて受け入れることになりましたが、祈りを記した薪は、すでに迎え火として地元で燃やされた後でした。別の薪を使う話も放射能検出を理由に見送られます。

 「皆で検討した結果、伝統的な慣習は変えられない、別の形で協力させてもらえないか」と、初めの時点で提案していれば、ほとんどの人が納得したと思います。仮に外野から「京都人は排他的」という声が上がったとしても、そのほうがよかったのでは?
 なんとも後味の悪い結果になったのは、鎮魂を願う被災者にも伝統を重んじる人々にとっても残念なことでした。
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