2009/06/05(金)婚礼道具の今昔
最近とんと見かけなくなったのは、日本の住宅事情が関係しているようです。狭いマンションやアパートでは、婚礼家具を置いておく場所がありません。和装離れで、きものを仕舞っておく桐のタンスなどは無用の長物です。
婚礼の需要を充てこんでいた家具屋は、どこも苦戦を強いられています。造り付けのクローゼットの普及で、大きなタンスは売れなくなりました。
それでも、婚礼家具を買うひとはいまでもいます。大抵は田舎の旧家です。
新婚生活は、しばらくはアパートか借家住まいなので、家を建てるまでは実家で預かる・・なんて話をよく耳にします。
そのときになって買えばいいように思いますが、結婚は合法的(?)な財産分与の機会なのでしょう。あとから・・という話は、あまり聞きません。
江戸時代には、嫁ぎ先にいきなり嫁入するのは武家の風習でした。庶民は、はじめのうちは新婦の実家へ通うのが一般的な習慣だったようです。
嫁入は、姑から家事の実権を受け継ぐ行事という位置づけです。結婚イコール嫁入ではないから、嫁入道具を携えて嫁ぐのは、武家特有のスタイルを真似たものだと思います。
武家の嫁入道具には、花嫁独自の紋様が入っていました。嫁ぎ先が用意した婚礼道具と区別するためです。家紋(家の紋)は男紋なので、花嫁が使う紋は母親から継承した女紋です。
封建時代でも、女性の所有権は保護されていました。万一離縁ということになったら、自分の持ち物を持って実家に帰ったと言われています。
アメリカで見つかった駕籠が、篤姫のものだと特定できたのは、独自の葵の紋様が施されていたからです。
篤姫が嫁入道具として持参した硯箱などは、いまでも日本に残されています。さすがに駕籠は大きくて持て余したのでしょう。異国で大事に保存されていたのはラッキーでした。