メッセージ

2009年06月26日の記事

2009/06/26(金)カメラから撤退したメーカー

 コンタックスは、ドイツの光学機器メーカー、カールツァイスが持つカメラブランドです。戦前は、ライカと雌雄を争った名門です。
 ドイツが東西に分断されたとき、カールツァイスは東ドイツにありました。旅役者の一団に扮して、技術者の多くが西側へ亡命した話は有名です。東ドイツに残されたカールツァイスは、後ろに「イエナ」の名をつけて区別していました。

 コンタックスブランド復活に際して、白羽の矢が立ったのは日本のメーカーでした。聞いた話では、初めはPENTAX(当時は旭光学工業)に打診したそうです。ツァイスのメガネ部門は、日本では旭カールツァイスの扱いでした。
 当時のPENTAXは、いまよりも羽振りがよかったので、敢えてCONTAXブランドを使うまでもない・・という判断をしたようです。

 最終的にに白羽の矢が立ったのは、ヤシカでした。日本国内では、どちらかというと二流メーカーの印象がありましたが、エレクトロ35の電子化技術は世界的に評価されていました。ドイツ国内では、日本で2番目のメーカーという触れ込みになっていたそうです。(1番目はどこ?)

 当時のYASHICAブランドの一眼レフは普及機だったから、CONTAX RTSは、初めての「高級機」です。西ドイツ製のカールツァイスのレンズが使えるカメラとして注目を集めました。

 ヤシカはその後、日商岩井が経営に参加し、最後は京セラに吸収合併されました。京セラは、素材メーカーとしては名を上げましたが、製品としてのブランドを持たないメーカーでした。ツァイスの技術にも魅力を感じていたようです。
 CONTAXブランドはそのまま継承したものの、YASHICAブランドはKYOCERAに変更されます。それだけ自社ブランド製品への執着が強かったみたいです。

 そのうちYASHICAブランドは復活を遂げます。南米やインドでは、YASHICAブランドは絶大な支持を得ていました。KYOCERAのままでは売れない・・というのが復活の理由だったようです。

 その後、京セラは製品としてのカメラ市場から撤退します。部品メーカーに徹する・・という結論に達したのでしょう。
 営業畑の社員を工場に派遣し、生産現場の実状を体験させることで納得させた・・と聞きました。製造ラインを流れる製品に、KYOCERAの外装をつけるよりも、他社ブランドの外装をつけたほうがよく売れる・・という現実を見せたわけです。
OK キャンセル 確認 その他