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2009年06月29日の記事

2009/06/29(月)消滅したカメラブランド

 京セラがカメラから撤退しても、YASHICAのブランドは残りました。ただし、エレクトロ35や CONTAXを復活製造した、あのヤシカのイメージは もうありません。

 日本のカメラメーカーで、倒産したために消滅してしまったカメラブランドは、かなりの数に上ります。とくに戦後、雨後の筍のようにできたカメラメーカーの多くは、生き残ることはできませんでした。

 そんななかでペトリは、大正時代に創立された栗林写真工業のカメラブランドで、海外でもコレクターがいます。「海外でも」というよりは、「海外には」と言ったほうが正確かもしれません。「KURIBAYASHI CAMERA」という英文の立派な研究本を見せてもらったことがあります。
 1977年に倒産し、その後、労働組合が生産を続けましたが、現在ではカメラの製造はしていません。

 ペトリというと、あまりいい印象を持っていません。「安かろう悪かろう」の代名詞として使われていた記憶があります。輸出向けの低価格機メーカーというのが、国内消費者の一般的な見方だったと思います。
 当時、東北地方はペトリの牙城・・という話を聞いたことがあります。ゴム長など農機具の販売ルートを通じて拡販していたそうで、一定のシェアを持っていたようです。その代わり、カメラ店ルートは弱かったみたいです。

 ミランダというカメラもありました。国内初のペンタプリズム式一眼レフとして知られています。当時は、オリオン精機産業という社名でした。
 ミランダの一眼レフシリーズのなかには、ペンタプリズムが外れたり、ミラーアップ装置がついていたりで、ニコンFなど高級機と同じスペックが魅力のものもありました。

 カメラ屋のオヤジさんは、「ミランダみたいな三流品はやめとけ!」と、売ろうとしませんでしたが、金のない学生にとっては、NikonやPENTAXは手の出せる価格ではありません。買えそうなのは、ペトリかミランダです。
 写真界の大御所・秋山庄太郎氏が「一眼レフで2万9800円!これはまいった」と宣伝していましたが、ペトリを買う気にはなれませんでした。結局、ミランダはカメラ屋のオヤジさんの抵抗に遭って買わずじまいです。
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